今日は『勘』についての御話です。
中国に来て色々な人々に会いながら、「こいつは凄い!」「面白い奴!」と尊敬の念を感じる人は皆『勘』が研ぎ澄まされている気がする。今日はそんなお話。
①あるカメラマン
彼は現在の奥さんと会って二度目で「この人と結婚し、人生を共に歩みたい!」と本能で感じたそうです。僕みたいに付き合って、同棲して、それから結婚を考えるなんて言うチマチマしたことはやってられないみたい。いや、そういう人だと感じその自分の声に忠実だったのかもしれない。また、彼は言う「自分が良いオーラを出している時は自然と良い人(女性も)が寄って来るもんだ!」と。
②ある体育大の母ちゃん
彼女はダンサーであり太極拳を学んでいる。体育大一、面白い女性だ!彼女と恋愛の話をしたり、人生について話していると、いかに自分が真面目と言うか難しく物事を考えているか自覚する。やはりシンプルこそ、ノンストレスな考え方である。コンサルの方々のように難しく考え、仮説・検証・分析…なんていうのは仕事で十分なのかもしれない。
彼女の座右の銘(なのだろうか?)は「これで死ぬわけではないからさ」のようだ。辛い時・苦しい時こそ、シンプルに「死ぬわけ無いじゃん♪」と考える…素敵な生き方である。彼女もやはり、自分の本能に忠実でその自分の声を感じられる人のようだ。
③おれの親父
彼は仕事の最終決定は自分の『勘』に頼るそうだ。かといって戦略的な分析が無いわけではない。「それはそれ」「これはこれ」と住み分けができる人です。情報を駆使しつつ、自分の本能にも耳を傾けて最終決定を下す。彼の仕事のやり方は、とりあえす自分の眼・身体で感じる(味わう)。それから、決定を下す。何事も行かなければ(やらなきゃ)、そこの景色は見えない(分らない)という意味だそう。もちろん、勘を磨くには経験が不可欠なのだろうけど、自分の『勘』を磨くために常に自分のオピニオンを持っているのでしょう。
この三人に共通しているのは、自然と美的センスというか芸術性を自分の価値観で持っているということだ。それは各々の『勘』という感性を更に磨くために、骨董品を買ったり、オシャレを楽しんだり、音楽を聴いたり、本を読んだり、博物館に行ったり…肌で芸術を感じ、刺激を受け各々体に染み込ませている。
一方、僕を始め今時の人々はだんだん『野生の勘』『カンピュター』というものを使わないから、衰退して行く。僕のは『勘』に従っているのでなく、無鉄砲(考えていない)な事が多い。それは分析もなし、五感もなし、一番ダメなことかも知れない。
だから、僕は『勘』を磨きまくりたい!!!!!!のである♪あまりモノに拘らない僕はこういう人達から一流のモノを借り触れ、経験値を増やしていこうと図々しく徐々に実行している。大事なのは自分なりに「どう感じたか」心の声に耳を傾けることでしょうか。
皆さんは『勘』て使っていますか?
中国に来て色々な人々に会いながら、「こいつは凄い!」「面白い奴!」と尊敬の念を感じる人は皆『勘』が研ぎ澄まされている気がする。今日はそんなお話。
①あるカメラマン
彼は現在の奥さんと会って二度目で「この人と結婚し、人生を共に歩みたい!」と本能で感じたそうです。僕みたいに付き合って、同棲して、それから結婚を考えるなんて言うチマチマしたことはやってられないみたい。いや、そういう人だと感じその自分の声に忠実だったのかもしれない。また、彼は言う「自分が良いオーラを出している時は自然と良い人(女性も)が寄って来るもんだ!」と。
②ある体育大の母ちゃん
彼女はダンサーであり太極拳を学んでいる。体育大一、面白い女性だ!彼女と恋愛の話をしたり、人生について話していると、いかに自分が真面目と言うか難しく物事を考えているか自覚する。やはりシンプルこそ、ノンストレスな考え方である。コンサルの方々のように難しく考え、仮説・検証・分析…なんていうのは仕事で十分なのかもしれない。
彼女の座右の銘(なのだろうか?)は「これで死ぬわけではないからさ」のようだ。辛い時・苦しい時こそ、シンプルに「死ぬわけ無いじゃん♪」と考える…素敵な生き方である。彼女もやはり、自分の本能に忠実でその自分の声を感じられる人のようだ。
③おれの親父
彼は仕事の最終決定は自分の『勘』に頼るそうだ。かといって戦略的な分析が無いわけではない。「それはそれ」「これはこれ」と住み分けができる人です。情報を駆使しつつ、自分の本能にも耳を傾けて最終決定を下す。彼の仕事のやり方は、とりあえす自分の眼・身体で感じる(味わう)。それから、決定を下す。何事も行かなければ(やらなきゃ)、そこの景色は見えない(分らない)という意味だそう。もちろん、勘を磨くには経験が不可欠なのだろうけど、自分の『勘』を磨くために常に自分のオピニオンを持っているのでしょう。
この三人に共通しているのは、自然と美的センスというか芸術性を自分の価値観で持っているということだ。それは各々の『勘』という感性を更に磨くために、骨董品を買ったり、オシャレを楽しんだり、音楽を聴いたり、本を読んだり、博物館に行ったり…肌で芸術を感じ、刺激を受け各々体に染み込ませている。
一方、僕を始め今時の人々はだんだん『野生の勘』『カンピュター』というものを使わないから、衰退して行く。僕のは『勘』に従っているのでなく、無鉄砲(考えていない)な事が多い。それは分析もなし、五感もなし、一番ダメなことかも知れない。
だから、僕は『勘』を磨きまくりたい!!!!!!のである♪あまりモノに拘らない僕はこういう人達から一流のモノを借り触れ、経験値を増やしていこうと図々しく徐々に実行している。大事なのは自分なりに「どう感じたか」心の声に耳を傾けることでしょうか。
皆さんは『勘』て使っていますか?