空波とともにⅢ

NC750X(初号機)とPCX(二号機)のカスタムとツーリングの「私的記録庫」です。(「空波とともに」の第三段♪)

08/11 酷暑の大和路ツー 5(宇陀松山城51)

2018-10-30 04:54:13 | 二百名城巡り

2018/08/11(土曜日)

二号機PCXで出かけた「大和路・城攻めツーリング」の5です


天理から宇陀松山城へ20㎞足らず



暑くなってきましたのでタオルを濡らして首に



この日ちんたら走っていたわりには

55㎞/Lあたりを行ったり来たりしていた二号機の通算燃費

気温の上昇とともへばるT2に反して

ぐんぐん伸びて56、57台へと♪



この長~い登坂車線



車に先行しようとペースを上げると

一気に50km/Lまで落ちましたが(笑)

あっと言う間に復帰して





宇陀松山城は山城

遺構くらいしかナイので一つ星

スタンプは道の駅「宇陀」の三叉路を東へ



一本入った観光施設



ココから登るようですね



古民家風



スタッフのオネエサマに


城址って遠いデスよねぇ~?と尋ねると

建物の裏から登りですが・・・

このお天気ですので、お勧めできませんねぇ~




でしょうねぇ~素直なT2


直ぐですと言われたらどうしょうwwwと

内心ビクビクでしたが(笑)


二号機は58km/Lに迫り元気そのもの




次の高取城まで20㎞あまり

しかし・・・

またまた山城ですか・・・




◆166 宇陀松山城 51/200  ☆

南北朝時代に宇陀郡を領有する有力国人宇陀三将(秋山氏、芳野氏、沢氏)の一人、秋山氏が古城山に山城を構えたのが始まりで、秋山城と呼ばれた。
豊臣政権に置いては、伊藤義之、加藤光泰、多賀秀種らの居城となり、大規模な改修が行われ近世城郭となった。豊臣秀長の大和郡山城や脇坂安治の高取城とともに大和国支配の要となる。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて多賀秀種は西軍に属していたため改易され、福島正則の弟・高晴が入城し松山城と呼ばれるようになった。
元和元年(1615年)、大阪夏の陣で豊臣方に内通したとして、高晴は改易され、城も破却・廃城となる。
※スタンプは「まちづくりセンター千軒舎」(奈良県宇陀市大宇陀拾生1846、0745-87-2274〈道の駅宇陀路大宇陀の東〉)


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6 コメント

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Unknown (ピィ)
2018-10-30 05:16:18
クルマに追い越しをかけても燃費が50をきらないというのは、本当にすごいですね。
暑いのは条件がいいのかな?
冬は回転が上がり気味になるのか、燃費が落ちますもんね。
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Unknown (me262a-1a)
2018-10-30 06:53:56
この観光施設エエ感じ。昔の町家を使っているのか・・・漆喰の白さが際立っています。^ ^

信じられない瞬間燃費値。ちなみに私のMT-03は、表示は30代までです。(^^)
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Unknown (カリナ)
2018-10-30 20:20:45
50Km/L 超え!・・・(*o*)
先日、岡山へ行った時、“Pちゃん”は35Km/Lでした・・・(-_-)
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気温が低いと・・・ (T2)
2018-10-31 05:13:23
>ピイさま

ガソリンの気化が低調となるので、燃焼効率が下がるのが冬場に燃費が落ちる主な原因ですwww

自動車でも昔に比べるとラジエター等の冷却機関のサイズ・性能の落として、オーバークールを防いでますwww
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最近はやりの・・・ (T2)
2018-10-31 05:14:41
>シュミットさま

廃材を活用した新築の様ですね♪

PCXには瞬間燃費を表示する機能はありませんので、トリップの累積燃費デスwww笑
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125と150・・・ (T2)
2018-10-31 05:17:08
>カリナさま

排気量の差でしょうか???

インジェクション系以外の基本設計はそれほど変わってない様ですが・・・

タイヤ鳴らして走ってます???
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