2019年06月29日(土曜日)から07月02日(火曜日)にかけて
妻と出かけた東北旅行の11デス
猪苗代役場から「会津若松城」へR49で30㎞余り
200名城の現地はメリハリ?をつけて廻ってますが
この城は幕末の城主・松平容保の城
相変わらずの雨
「鶴ケ城公園」
マンホールも♪
再建ではありますがピンク?の甍が独特の城
スタンプも天守閣内の売店
と言うことで登城
運動不足の妻はヒーヒー言いながら階段を
励ましながら登っていると目の前に・・・
ぎょぎょっと
松平容保さん
司馬さんの小説のレギュラー???
妻は「白虎隊」の品定め???
甍は茶色なんですね
売店は天守閣の出口に
ココだけなら入館料は要らなかった様です
歴史を感じる市役所
この手の建物の中は例にもれずの照度不足
休日出勤の職員さんからマンホールカードをいただき
次へ
妻と出かけた東北旅行の11デス
猪苗代役場から「会津若松城」へR49で30㎞余り
200名城の現地はメリハリ?をつけて廻ってますが
この城は幕末の城主・松平容保の城
相変わらずの雨
「鶴ケ城公園」
マンホールも♪
再建ではありますがピンク?の甍が独特の城
スタンプも天守閣内の売店
と言うことで登城
運動不足の妻はヒーヒー言いながら階段を
励ましながら登っていると目の前に・・・
ぎょぎょっと
松平容保さん
司馬さんの小説のレギュラー???
妻は「白虎隊」の品定め???
甍は茶色なんですね
売店は天守閣の出口に
ココだけなら入館料は要らなかった様です
歴史を感じる市役所
この手の建物の中は例にもれずの照度不足
休日出勤の職員さんからマンホールカードをいただき
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◇12 会津若松城(鶴ケ城) 112/200 ☆☆
福島県会津若松市
秀吉の命で奥州の押さえとして蒲生氏郷が七重天守を建築
後に加藤氏が五重に改修
戊申戦争を耐え抜いた実践的な縄張り
遺構:天主台の野面積の石垣など
再建:五重五層天守(RC)
※スタンプは天守閣内売店(0242-27-4005、410円、無休、8:30~16:30)
シュっとしてますよねぇ~笑
しかし・・・若いというか幼い感じ・・・
人の一生が短かった当時・・・これぐらいの年代の人が藩を動かしていたということなのでしょうか???
昔は地方の藩が国の様な連邦国家意識が・・・
薩摩や島津も鎖国をしていたと・・・
独立国家を目指して北海道へ渡った新選組・・・
大きく日本が動いた時代ですねぇ~
城も「兵器」デスよねぇ~???
戦艦大和を再建と言えば内外からストップかかかるでしょうが、城は再建できるとは・・・これ如何に???笑
江戸幕府の要を自負し続けた会津藩
分かりにくかった明治維新ですが、どちらも日本を守ろうとしたんだけど、「日本」の意味と手段が違ったんだろうなぁ~とも・・・
司馬さんの小説?を読むと、それぞれの葛藤が生き生きと描かれてました~
会津藩・・・実は、中立の独立国家を目指していたという話を聞いたコトがありますが・・・どうなんでしょ?・・・(^^;)
コンクリート製でエレベータがあるのを見て
昔のお城なのになんで??と思ったものです。
このように再建されたお城って多いんでしょうねえ。
幕府への義を重んじ、最後まで抵抗した会津藩。真面目過ぎたのかな~要領が悪かったのかな~なんて思うこと多しです。
ワタシもダムばかりを廻らずに名所?も廻っておけばよかったカモねぇ~と、思うことの多いこの頃デスwww笑
鶴ヶ城(会津若松城)は会津若松ICで降りてから大川ダムへ向かう時に毎回を横を通り過ぎていて何気に気にはなっておりましたが、こんな感じの施設なんですね。
最後の将軍・徳川慶喜は写真を撮るのが好きで、これまた沢山ポートレートが残ってますネ♪
そうそうwww
ワタシが生まれたころには江戸時代に生まれた人も周りにいたわけですよねぇ~
生き証人が存命の間にと一時、第二次世界大戦モノが沢山書かれたのもさもありなんですねぇ~
幕末生まれの人で100歳くらいまで生きていると、自分と生きている期間が普通に重なっていたと思うと不思議です。
大昔なのにね。