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スティールパンで童謡唱歌94曲目!

2023-04-04 08:00:00 | スティールパンで童謡唱歌
今日は、スティールパンで童謡唱歌のことだけ書きます!(長いから!笑)

そして、しまった!!!ということがありましてね…😅

予定していた順番を間違えました!
ガーン( ̄◇ ̄;)!!!

いろいろ考えたけれど、仕方ないのでこのまま進まことにしました。

本当は瀧廉太郎サン続きにしたかったんです!(^_^;)

4/2『花』→4/3『荒城の月』の流れで予定していたのに、メモを見忘れて、『なかよし小道』を入れてしまった…ってわけです。

『なかよし小道』のブログも、YouTubeもアップしてしまったし…。ってことで、今後はちゃんとメモを見ながら流れを考えてやるぞ!ということを心に決めました!
m(._.)m m(._.)m

さぁ、本日の曲は解説がいーろいろあって、楽しくなっちゃって、長くなりました。


4月4日
スティールパンで童謡唱歌(94)
『荒城の月』
作詞:土井晩翠
作曲:瀧廉太郎


この曲は、哀調をおびたメロディと歌詞が特徴で、七五調の歌詞(今様形式)西洋音楽のメロディ融合した楽曲…という解説を拾ってきました!(1901年発表)

特に、日本で作曲された初めての"西洋音楽の歌曲"とされ、日本の歴史的に重要な曲だそうです!!!

当時の日本では『蛍の光』や『仰げば尊し』など、西洋音楽に日本語の歌詞を当てはめた歌曲が主流だったそうです。
(2曲とも3月の頭に演奏したから、それは知っているっ!!!w)

その頃、1898年に東京音楽学校(現 東京藝術大学)から中学唱歌用の歌詞を委託された"土井晩翠サン"は「荒城月」を作詞され、この詩に曲を付ける公募で、瀧廉太郎サンの旋律が採用されたとのこと。

◎作詞者・土井晩翠サン(1871-1952)は、明治から昭和時代に活躍した詩人。
土井サンの作品は男性的な漢詩調の詩風で、同時期に活躍した女性的な詩風島崎藤村サンと並んで「藤晩時代」と称されたそうです。

◎瀧廉太郎サン(1879-1903)は4/2の『花』に続き…ですが、瀧廉太郎サンのエピソードを見つけました!
① 史上最年少で東京音楽学校に入学!
② 日本で初めて西洋音楽を取り入れた作曲家!
③ピアニストとしての腕がすごかった!
④日本で初めてピアノ独奏曲を作った!
⑤テニスの腕もすごかったらしい!

しかし、亡くなられたのは23歳。
結核だったそうです。
若すぎますね…(T_T)

【歌詞】
春高楼の 花の宴
巡る盃 影さして
千代の松が枝 分け出でし
昔の光 今いずこ

秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁の数見せて
植うる剣に 照り沿いし
昔の光 今いずこ

今荒城の 夜半(よわ)の月
変わらぬ光 誰(た)がためぞ
垣に残るは ただ葛(かずら)
松に歌う(うとう)は ただ嵐

天上影は 変わらねど
栄枯は移る 世の姿
映さんとてか 今も尚
ああ荒城の夜半の月

【歌詞の意味】(解説ページから拝借)
春、城内で花見の宴会が開かれ、みんなで回し飲みした盃に月の光が映っていた。華やかで賑わっていた城の面影はもうなく、古い松の枝からこぼれ落ちた昔の栄華は今どこにあるのだろう。

秋、陣営の中は、まるで霜のように冷たい空気が張り詰め、空を行く雁の鳴き声が響く。植えたように立ち並ぶ剣が照り輝いていたが、あの昔の光は今どこにあるのだろう。

荒れ果てた城跡を真夜中の美しい月が照らす。その光は昔と変わらないが、人もいないのに誰のために光っているのだろう。石垣に残っているのはつる草のみ。松の枝を鳴らすのは風の音だけ。

月の光の輝きは昔と変わらないが、今も世の中の栄枯盛衰を映そうとしているのだろうか。ああ 荒城を照らす月よ。

→ただお城や月の様子を表した歌詞ではなく、栄枯盛衰をうたった曲ということですね。

【どこのお城?】
土井晩翠サンが『荒城の月』の詩を作り始めたとき、最初に頭に浮かんだのが、福島県会津若松市にある鶴ヶ城だったそうです。
鶴ヶ城には、戊辰戦争時に多くの若い兵士が自害したという歴史があるそうで、戦争終結後の明治7年に取り壊されたとのことですが、土井晩翠サンが見たのは、その10年後のことだそうです。
この時に見た鶴ヶ城の姿と、故郷である宮城県仙台市の青葉城を重ね合わせて「荒城月」は書かれたということでした。


【似ている曲シリーズ!笑】
『荒城の月』は、メンデルスゾーンサン(1809-1847)作曲「交響曲第3番『スコットランド』」の第1楽章に似ているといろんなサイトに書いてありました!

メンデルスゾーンサンの交響曲「スコットランド」が日本で初演されたという1900年12月は、瀧 廉太郎サンが『荒城の月』を作曲する数か月前のこと…だそうです。
聞いてみると、最初からニヤニヤします!
ぜひ検索して聞いてみてください☆

『箱根八里』も、メンデルスゾーンサンの交響曲第2番「讃歌」雰囲気に似てるんですって!(雰囲気、似てました!w)

瀧廉太郎サンは西洋音楽の調査係であり、ドイツに留学し、メンデルスゾーンが作った音楽学校で学んでいたそうなので、影響は大きかったのかも?しれないですね。

以上、情報量がたくさんな『荒城の月』でした!

明日は、つながりの曲をお届けします🎶
コメント
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