森見登美彦さんの「きつねのはなし」を今読み終わりました。
ひとりきりの家の中でブルブル震えているのは、寒さのせいだけでしょうか?
とにかく、こわくてこわくて、なにかしていないと、思考の隙間からひたひたとなにか怖ろしいものが入り混んできてしまいそうです。
森見さんを勧めてくれた長男も「『きつねのはなし』はちょっとね…」と言っていました。読み終えて、あまりに怖くて長男にメールしたら、「琵琶湖は遠いから大丈夫」と返事がきました。それでも、やっぱり、身体がブルブル震えて、PCの立ち上がりが遅いだけでかなりビビってしまいました。
森見さんを読み始めたのは長男との京都行きが決まった頃でした。
長男は「これ読んでみる?」と言って、「有頂天家族」を貸してくれました。
まさに‘痛快’といったストーリー展開と、余韻を残すような終わり方がとても気に入って、家にある森見さんの本を順に読んでいくことにしました。
・有頂天家族
・走れメロス
・夜は短し歩けよ乙女
・四畳半神話大全
・太陽の塔
順番が滅茶苦茶ですね。
このあたりまで読んで勝手に‘森見節’とか言って、「ええじゃないか」なんて騒いで、はしゃいでいた私でしたが…。
裏表紙に書いてある紹介文を読んで「短編集か~」などと軽んじていた私は大バカ野郎でした。四編のうちの最初の話を読んだ後、どうしようもない居心地の悪さを感じ、全部読んだらこの気持ちが晴れるのではないか、と思いながら読み進めて、さらにさらに重苦しいものを溜め込み、最後の最後でどうにも逃れられない怖ろしい視線にからめ取られてしまったようです。
最後までいったら、全部種明かしがされて、「こういうことだったのか~」と思えるだろうなんて、甘かった。だいたい「余韻を残すような終わり方」に魅かれたんじゃないか。‘余韻’には、先々への明るい展開もあれば、どうにも救い難い黒い塊というものだってあるんだから。
あぁ~~!!
わかってたはずなのに。
こんなにもがっちりとつかまってしまって、ブルブル震えてるなんて!
恐るべし~、森見登美彦!!
ちょっと落ち着いてきたので、一応、言っておきたいのですが、よくよくあるような、伏線バラまきまくってちゃんと回収できてない、物語がきちんと収束できていないような(例をあげてしまうと、角が立ってしまいますので、ここは個人個人で思い当たってください)そういう物語とは全く違うんです。
種明かしをしないことで、この物語の怖さが読者にとって‘本当の怖さ’になってしまう、と言ったら伝わるでしょうか?だって、本当のことにはちゃんとした答えがあるとは限らないでしょ。うまく言えないんだけれど、すぐ隣にそういう世界が広がっていることをそれこそ毛穴から感じてしまうというか…。
後ろを振り向くと、そこに襖があって、その先の暗がりの中から水音が聞こえるような気がして、生臭い匂いがしてくるような気さえしてしまうんです。
「有頂天家族」とか「夜は短し歩けよ乙女」とか、どれに関してもいろいろ語りたいことはたくさんあるのですが、今、ざわざわと泡立ったままのこの頭では、まともな感想が述べられそうにありません。また日を改めて感想をあげたいと思います。(表題は「感動文 きつねのはなし」に直すべきでしょうか?)
他の作品とはまるで異なる雰囲気の「きつねのはなし」
その違いっぷりに森見登美彦さんの底知れない力を感じ、まだ文庫化されていない分は単行本で買うべきか、図書館で借りるべきかちょっと迷う私でした。
ちなみに、この後は森見さんの京大仲間でもある万城目学さんの「ホルモ―六景」が控えています♪
ひとりきりの家の中でブルブル震えているのは、寒さのせいだけでしょうか?
とにかく、こわくてこわくて、なにかしていないと、思考の隙間からひたひたとなにか怖ろしいものが入り混んできてしまいそうです。
森見さんを勧めてくれた長男も「『きつねのはなし』はちょっとね…」と言っていました。読み終えて、あまりに怖くて長男にメールしたら、「琵琶湖は遠いから大丈夫」と返事がきました。それでも、やっぱり、身体がブルブル震えて、PCの立ち上がりが遅いだけでかなりビビってしまいました。
森見さんを読み始めたのは長男との京都行きが決まった頃でした。
長男は「これ読んでみる?」と言って、「有頂天家族」を貸してくれました。
まさに‘痛快’といったストーリー展開と、余韻を残すような終わり方がとても気に入って、家にある森見さんの本を順に読んでいくことにしました。
・有頂天家族
・走れメロス
・夜は短し歩けよ乙女
・四畳半神話大全
・太陽の塔
順番が滅茶苦茶ですね。
このあたりまで読んで勝手に‘森見節’とか言って、「ええじゃないか」なんて騒いで、はしゃいでいた私でしたが…。
裏表紙に書いてある紹介文を読んで「短編集か~」などと軽んじていた私は大バカ野郎でした。四編のうちの最初の話を読んだ後、どうしようもない居心地の悪さを感じ、全部読んだらこの気持ちが晴れるのではないか、と思いながら読み進めて、さらにさらに重苦しいものを溜め込み、最後の最後でどうにも逃れられない怖ろしい視線にからめ取られてしまったようです。
最後までいったら、全部種明かしがされて、「こういうことだったのか~」と思えるだろうなんて、甘かった。だいたい「余韻を残すような終わり方」に魅かれたんじゃないか。‘余韻’には、先々への明るい展開もあれば、どうにも救い難い黒い塊というものだってあるんだから。
あぁ~~!!
わかってたはずなのに。
こんなにもがっちりとつかまってしまって、ブルブル震えてるなんて!
恐るべし~、森見登美彦!!
ちょっと落ち着いてきたので、一応、言っておきたいのですが、よくよくあるような、伏線バラまきまくってちゃんと回収できてない、物語がきちんと収束できていないような(例をあげてしまうと、角が立ってしまいますので、ここは個人個人で思い当たってください)そういう物語とは全く違うんです。
種明かしをしないことで、この物語の怖さが読者にとって‘本当の怖さ’になってしまう、と言ったら伝わるでしょうか?だって、本当のことにはちゃんとした答えがあるとは限らないでしょ。うまく言えないんだけれど、すぐ隣にそういう世界が広がっていることをそれこそ毛穴から感じてしまうというか…。
後ろを振り向くと、そこに襖があって、その先の暗がりの中から水音が聞こえるような気がして、生臭い匂いがしてくるような気さえしてしまうんです。
「有頂天家族」とか「夜は短し歩けよ乙女」とか、どれに関してもいろいろ語りたいことはたくさんあるのですが、今、ざわざわと泡立ったままのこの頭では、まともな感想が述べられそうにありません。また日を改めて感想をあげたいと思います。(表題は「感動文 きつねのはなし」に直すべきでしょうか?)
他の作品とはまるで異なる雰囲気の「きつねのはなし」
その違いっぷりに森見登美彦さんの底知れない力を感じ、まだ文庫化されていない分は単行本で買うべきか、図書館で借りるべきかちょっと迷う私でした。
ちなみに、この後は森見さんの京大仲間でもある万城目学さんの「ホルモ―六景」が控えています♪