先日地元紙投稿欄に掲載されたその日懐かしい人から新聞の投稿を観て我がことのように感じて元気付けられましたと突然電話があった、その人は現役時代私が発注者側だった時、請負会社の現場責任者をしていた。技術はピカ一で責任感が強く人柄には定評があり立派な現場責任者だった。その会社の上層部に認められアフリカのタンザニアへ電気工事技術の現地指導へ派遣されることになり50歳になっていた彼は英語の猛勉強をして2年間アフリカに渡り電気工事技術を指導して帰国した。帰国後その経歴から現場の責任者から管理業務に抜擢され作業員と共に働く立場から離れ慣れない報告書や指示書を書いたりと言った事務作業が馴染めずに悩みノイローゼ状態となってしまった。その後はhome閑職にまわり停年退職されたが彼のすごいのは60歳から定時制高校に通い勉強して能力を磨いたことだ、最初はたどたどしかった年賀状の文字や文面が逐次上達その向上ぶりに驚きと彼の向上心を感じたものだった。先日の電話では民生委員も永らく勤め町内会のお世話役をしたり忙しい毎日を送っているとの事。学歴コンプレックスをバネに60歳から努力で勉学に励み乗り越え社会に還元している生き方に賛辞をおくりたい。アフリカでの現地では貧しい暮らしをされていたが現地の人達は明るく前向きでとても親切で人生観が変わるほど刺激を受け良い勉強をさせてもらったと述壊していた。こうした素直で前向きな人柄だから私の「晩年こそ挑戦」の共鳴してくれたのだと思う。
河北新報声の交差点 2022.2.1