Truth Diary

大震災と南相馬市の今

 放送大学の掲示板で標記講演を知り傍聴してきた。講師の方は南相馬湿出身の当学習センター修士生。私と同じ福島で隣の市で育ち高校も姉妹高の縁があり何度かお話をしたことがあり、私の生まれ故郷伊達市でも依然として放射能による農作物の作付制限や、若い人の一部が避難している家族もあり、講師の話を直に聞いてみたかった。
 私の母校は福島市で健在だったが、南相馬市の彼の母校は放射能被害の為、この3月をもって廃校になったとか。私学であるため国や県の援助も得られずに廃校は残念なことだ。
 本校の創設は、昭和20年代戦後の荒廃期で、「産業の発展なくしては日本の復興はあり得ない、産業の原動力はまず、電気から」と、急がれる電気技術者養成に、国や県の取り組みの遅さに業を煮やした前理事長が、若干30歳代で幾多の困難をものともせず独力で、私学の電気学校を設立したのが前身で、その後、通信、建築、土木科等を併設した工業高校へと引き継がれ、高度成長期の産業界に幾多の技術者を輩出した。
 スポーツ方面では南相馬市の姉妹校出身では大相撲の先代栃東(13代玉ノ井親方)、私の母校では私が1期生の時創部した空手道部が全国選抜の常連校として名を覇している。
 脱線したが、震災直後から実際に現場を見て歩き資料を集め、写真に記録し、放射能値を測定した講師の話には興味深く共鳴する点が多くあっという間に予定時間が過ぎてしまった。
 相馬野馬追祭りの由来や、被災した大変な中、休まずに、千年以上続く伝統を守るため、苦労して馬を準備して、先祖伝来の甲冑姿で出陣する子孫らの並々ならぬ苦労、先祖を代々敬う伝統を受け継ぐ当地の風土は、同じ県内の会津武士・純真無垢な白虎隊に通ずるものと同県人として誇らしさを感じた。

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