先ごろ福島の実家に行ってきた。両親は同い年の89歳で元気である。小学生の同級生だと、昨年孫たちに、セピア色になった写真を見せ若いころの自慢話をしていた。
昨年から田んぼまでの行き来が大変で、危険なこともありやむなく稲作は止めたが、家の前の畑仕事に精を出し大豆、小豆野菜など丹精込めて作って私たち子供や、孫たちにおすそ分けしてくれる。土壌がよく化学肥料などを使わないので、店頭に出回っているモノとは比べ物にならないうまさだ。
家の角口(かどぐち)の甘柿の老木も、例年のなく、渋いのがひとつも無く、すべてゴマの入った程よい甘さになったと電話をよこしたので、腕白坊主で柿の木から落ち、死ぬ思いをした頃の日々を思い出しながら味わっている。
そして老親の毎度の食事で驚くのは、自家製の野菜や漬物、そして自家製の味噌などの他に、近頃私も控え気味な肉類、それも脂っこいフライドチキンなどが好物だとのこと。
水は昔から井戸水である。母は、昔から生糸と真綿の全国屈指の産地であった機織り(はたおり)を退役してからも、細々と真綿つむぎなどの内職をずっと続けてきた。つまり両親とも休まずに、身体を使い働き続けてきたということが、食事とあいまって健康の源になっているのだろう。
鍬(くわ)杖に 腰のばし見る 茜空(あかねぞら) 畑の老父を思い浮かべて
静かな山村のただずまい。自然の成り行きにゆだねながら長寿を祈る