一昨日、少し遅くなった義父母の墓参りに涌谷町に行ってきた。
抜けるような青空のもと墓石の清掃をして、気分も晴れやかになった。絶好の撮影日和とばかり、涌谷城をカメラにおさめ、仙台に転居前に住んでいた石巻の住宅へ向かう。
震災後五度ほど、津波被害修繕見積りのため訪れていたが、周辺の瓦礫はすっかり除去され一見元の町並みのようだが、修繕されずに無残な姿を残す家屋も多く、既に撤去され更地になったところもある。
石巻市役所に「家屋の解体と運搬依頼」を申請していたが、4ヶ月経っても音沙汰がないので、窓口で確認したら、書類が届いていないと言われ、当時の石野巻市の混乱ぶりから致し方ないと諦め再提出した。
担当者は遠くから応援に来てくれていた佐世保市役所の腕章をつけた職員だった。長期間にわたり(5月に来た時も同じ腕章をつけた方がたくさんいた)。ありがたい支援に頭が下がる。「解体する日時が決まったら連絡をよこすので立会いしますか」と言われ、お願いした。ようやく一安心でも一抹の寂しさも。家族4人で15年間住まいした家が取り壊される現実。畳や家財などは5月に神奈川県から来たケアマネジャー協会のボランテイィアの人達4人に路上に運びだしていただき済んでいた。
震災当日、市民が津波を逃れ非難した市街で一番高い、日和山に登り、眼下に被災した海側の町並みを一望した。何度もテレビで報じられたとおり、何もなくなり廃墟が続く、ところどころに昔のお墓の、土饅頭(どまんじゅう)のようにうず高くガレキが積まれている。
白装束の巡礼者4人衆が鹿島御児神社に祝詞(のりと)や般若心経を斉唱していた。今更元に戻しようも無い現実を受け入れながら子育て中にお世話になった石巻を後にした。帰途の田んぼは、黄金色に色づき何時もと変わらない収穫の秋を感じさせていた。
涌谷城この裏側に菩提寺がある
日和山から雲雀野海岸を見下ろす
鹿島御児神社に祝詞をあげる巡礼者達