最近ラジオを聴いていてなるほどと感心させられる事があった。
日本語にはプライバシーとエッセンシャルにあたる日本語が無いと言う。もともと木と紙で出来ている日本家屋では昔からプライバシーなどと言っていられなかった、長屋では隣の声が筒抜け状態、却ってそれが事故や危険を回避する役目もになっていたようおおらかだった。
文化人識者とやらがなんにでも個人情報保護法とやらを持ち出してあからさまにしない風潮は、時には人の生命にかかわる事もあるようだ。
本来個人情報保護法の厳格な規定を知ろうともせず、何かと言うとすぐに持ち出しプライシーに関わると立ち入らせない。
もう一つのエッセンシャルのほうは、必要不可欠なという意味らしいが、狭く肥沃な土地も無い中で精一杯暮らしてきた日本人の祖先には全てが必要でそのような概念は生まれなかったのだろう。
最近コロナ禍のニュースで必要不可欠な行動を自粛しようなどと後者をよく耳にする。それだけ豊かになりエッセンシャルが生活の場に含まれてきたと言えるのか。芸術はそうした分野に含まれていると聞く、生命の根源に欠かせないのが音楽や絵画、文学作品などの芸術だと思うのだが。