田舎で暮らしてます。 (My country life!)

都会の喧騒を離れ、北関東の田舎で可愛いペット達と暮らし始めた中年夫婦の日記です。

訃報

2010-08-13 00:15:58 | 日記
勤務中に携帯電話に着信音。妻は昼間めったに電話をかけてくることはない。妻との交信は殆どがメールによる。いやな知らせに違いないと、すぐに悟った。電話口では妻が泣きながら報告を続ける。どうやら不吉な予感は的中したようである。高齢になった義理の母が具合が悪くなり、義妹の付き添いで病院に行って内視鏡による診断を受けたところ胃の中に癌がみつかったとの報告であった。本人告知はせずに、胃潰瘍と偽って知らせたようである。後日、詳しい再検査を予定しているとのこと。82歳の高齢では手術は難しいとは担当医のコメントである。日本人の平均寿命は戦後飛躍的に伸び、いまや日本も世界の長寿国となっているが、それでも82歳になれば本人もある程度の覚悟はできているのであろう。義理の父が亡くなって早20年の歳月が流れている。義理の母も夫に先立たれた当時は相当のショックで、そのまま後を追ってしまうかの様子を見せていたが数年後には生きる希望を見出し、二人の孫と娘たち家族と共に幸せな歳月を過ごしてきていた。ここ2,3年の不幸な時期を除けばである。妻がやっと普通の生活ができるようになり、パートでも探して働こうかという矢先に、今度は義理の母が癌の宣告を受けてしまった。妻が再びうつ病になってしまわないかと気がかりである。20年前に父親を亡くし、未だにトラウマから脱しきれていない状況で、今度は母親が不幸に見舞われてしまった。人はどれだけの不幸を背負って生きていかねばならないのだろうか。禍福はあざなえる縄のごとしというが、ほんの束の間の幸せの次には大きな不幸が待ち伏せしているようである。耐えきれない悲しみを背負ったとき、人はただ涙を流すことしかできないのだろうか。過去を振り返り、自己の行動を悔み、それが悲しみを増幅させる。今の自分には妻を慰めることなどできない。どんな言葉も意味をなさないであろう。ただ黙って見守るだけである。時が全てを解決してくれるであろうことを祈りながら。両親をなくしてから自分の生き方はずいぶんと変わったように思う。自分の中にある向上心は、全て母親に認めてもらいたいという潜在意識が動機となっていたのかもしれない。母親が亡くなってから、自己啓発などという言う意識は次第に薄れていってしまった。今の自分は家族のために頑張っているのだと自分に言い聞かせないといけないほど、誰のために生きているのか何の為にいきているのかさえ分からなくなっているような気がする。毎日何事もなく生きて行ける毎日が実は幸せなのだと、思い知らされた義母の近況であった。