田舎で暮らしてます。 (My country life!)

都会の喧騒を離れ、北関東の田舎で可愛いペット達と暮らし始めた中年夫婦の日記です。

ガンの告知に迷う

2010-08-19 23:24:40 | 日記
義母の再検査は進行性の胃がんに間違いないという結果であった。本人には告知せずに、胃潰瘍であると担当医も家族も真相を偽ってひた隠しにしている。80歳をとうに過ぎた高齢では体力的に胃の全摘出手術は難しいと担当医も考えているようである。本人に癌の告知をするべきかどうかは、果たして家族や親せきが判断すべきものであろうか?もしも自分の余命が数カ月なのか数年なのかを知ることができれば、残された人生を有意義に過ごそうと考えるガン患者もいるだろうし、逆に自分の死期など知りたくもないという患者もいるだろう。交通事故や天災に見舞われ何の前触れもなく突然命を失うことを考えると、この世を去る為に心の準備ができるのも決して悪いことばかりではないような気がする。若いころに「生きる」という黒沢映画を見て感動したことが思い出される。当時は英会話に夢中になっていた事もあり、英語版のシナリオを買って夢中で読んだ記憶がある。毎日を平凡に暮らしていた、やる気のない老いた市役所の職員が自分の命が長くないことを知らされた日から、人が変わったように児童公園をつくらせる為に奔走するというストーリである。人は死期を悟った時に初めて謙虚になり、神の存在に気づくのであろう。たとえ、それを神と呼ばなくても人間には理解のできない「おおきな力(フォース)」が存在するということを肌で感じるのではないか。人間とは愚かな生き物である。余命数カ月と知らなければ、自分の生き方に疑問を持つこともなければ反省することもないのである。義父も20年前にガンで亡くなったが、本人に告知されることはなかった。長期にわたる検査入院の果てに入院から数カ月でこの世を去ることになった。末期ガンの苦しみの中で亡くなっていったと後に義母から聞いたのだが、その闘病生活は壮絶なものであったようだ。病室の壁が鮮血で真っ赤に染まったと聞いている。治るあてのない病気で、検査、検査の連続でモルモットのように治療法や治療薬の対象となり、苦しんだ挙句に迎えた死であったようである。そんな治療がはたして必要であったのか、そこまでして患者を苦しめる必要があったのかと当時は疑問に思わずにはいられない。義父の入院先は田舎の病院などではなかった。入院先は都心にある超有名私立大学の医学部付属病院であった。なんでも甥っ子がその大学を卒業して病院の勤務医をしていたから紹介を受けて大学病院への入院がきまったようである。当時も多くの民間治療法が口コミで患者や家族を通じて広まっていたが、その一つを試したいと申し出たところ病院側の治療方針に不満があれば出て行ってくれと言わんばかりの剣幕で却下されてしまった。その民間治療法で父が救われたと言った女医は申し訳なさそうに義父の家族に謝ったそうである。病院側のプライドと権威主義を守る為には家族の思いなど冷たく無視するのが当然と言わんばかりである。彼らにとってはガン患者など、人体実験の対象でしかなく、ハツカネズミ一匹の命と何ら変わりないのであろうと思わずにはいられなかった。家族の嘆き悲しむ姿を見かねて、親切心から自己の体験を語り、彼女の父親を救った民間治療法があることを漏らしてしまったのだが、この女医の良心は、血も涙もない白い巨塔の経営者たちに踏みにじられてしまったのである。こうして良心のかけらもない冷酷な医師たちのみが出世欲の波を乗り切り大学教授やら学部長となって大学病院を牛耳るのだろう。義父が検査入院した数カ月の間に治療費は数百万を超えていたようであるが、彼は体を切り刻まれ苦痛にまみれ、挙句の果てに最大の努力をしましたが彼はガンに勝てませんでしたなどと言われたのでは何のための入院だったのか。高額の治療費をむしり取り、患者を死なせたのでは詐欺以外の何物でもないと言いたいところだが、末期がんの治療は困難と一言で済まされるのだ。患者をたすけることができないのなら、無駄な治療は最初から行わず本人の苦痛を和らげる選択があったはずであるが、それでは高額の治療報酬が得られない。大学病院とはいえ、所詮は民間企業にすぎない、つまるところは金もうけが優先する医療機関にすぎなかったということだ。義母には同じ思いをさせたくない。できる限り本人の肉体的苦痛を和らげ、送り出してあげるのが良いのではないかと信じている。自分の母は脳梗塞で入院し亡くなるまでの数年を病院で過ごしたが、その期間は決して幸せだったとは思えない。多少痴呆の症状も出ていたせいだろうが、見舞いに訪れた際に手足をベッドに縛られていることがあった。点滴をはずそうとして危険であるという判断だったのだろうが、犬や猫ではあるまいに、体の一部をベッドに括りつけるのは如何なものか。人間の尊厳など、患者には与えられないのだろうか。病院で最期を迎えるのは母の本意ではなかったと思う。だれしも畳の上で、住み慣れた我が家で最期の時を迎えたいと望んでいるはずである。治療費をむしり取るだけの今の医療制度下では、植物人間になろうが、昏睡状態であろうが長く生き延びさせておくだけが目的となってしまった。治療などはついでに行うサービスなのだろうか。残念なことに日本に医料制度(医者が料金ふんだくり制度)はあっても、真の医療制度は存在しないのかも知れない。