こちらの記事で紹介した資料の表紙に登場していたのは、国道293号線の尻内町信号を東へ曲がった突き当たりにある十九夜堂で、少し西に戻ったところには庚申塔があります。
「寺尾南小学校区の野の神様・仏様」の表紙で「十九夜尊」と書かれたきれいに彩色された十九夜供養塔(如意輪観音)は、こちらの十九夜堂にあります。
側面に回って撮影しなかったけど、右側面をトリミング+レタッチしたら、赤い羽衣をまとった如意輪観音が彫られた十九夜塔(右)は大正十二年建立と分かりました。
左の下台がない十九夜塔は文化八年建立。
新しい卒塔婆が供えられているということは、女性を中心に十九夜講が続いていることを示している証拠だろうか。(前述の資料には、「二十二夜講」も当地で続いていると書かれていた)
十九夜堂から西へ戻ると、馬頭観音碑と寛政時代?の庚申塔と万延元年?の庚申塔がありました。
(半分以上埋没しているため、正確な元号が読めず)
おまけ:橋の先は私有地でこれ以上は入れなかったが、大きな弁財天像と石祠を確認。
(土地の所有者に考慮して、強めにモザイクをかけておきました)
地図はこの辺→ https://goo.gl/maps/GFd4GrWguGJ2
「寺尾南小学校区の野の神様・仏様」の表紙で「十九夜尊」と書かれたきれいに彩色された十九夜供養塔(如意輪観音)は、こちらの十九夜堂にあります。
側面に回って撮影しなかったけど、右側面をトリミング+レタッチしたら、赤い羽衣をまとった如意輪観音が彫られた十九夜塔(右)は大正十二年建立と分かりました。
左の下台がない十九夜塔は文化八年建立。
新しい卒塔婆が供えられているということは、女性を中心に十九夜講が続いていることを示している証拠だろうか。(前述の資料には、「二十二夜講」も当地で続いていると書かれていた)
十九夜堂から西へ戻ると、馬頭観音碑と寛政時代?の庚申塔と万延元年?の庚申塔がありました。
(半分以上埋没しているため、正確な元号が読めず)
おまけ:橋の先は私有地でこれ以上は入れなかったが、大きな弁財天像と石祠を確認。
(土地の所有者に考慮して、強めにモザイクをかけておきました)
地図はこの辺→ https://goo.gl/maps/GFd4GrWguGJ2