フェミニスト女優ミシェル・ウィリアムズの直談判によって実現した作品だそうだ。ならば、ケリー・ライヒャルト改めライカートもフェミニストなのかと問われると、そうとも言いきれない気がするのである。確かに、彼女が撮りあげた作品のほとんどは、主人公の女性たちが男に頼らない生き方を模索している。それこそフェミニストの証だ、とおっしゃられる方もきっと多いことだろう。が、ライカートの映画には、フェミニズム映画特有の女性を下に見たがる男性に対する嫌悪がほとんど感じられないのである。
元来フェミニズムは、女性本来の役割から女性を解放するという意味合いが強いらしい。簡単にいうと「そりゃ女の仕事でしょ」と無能な男どもから命令されることほど頭にくることはない、ということなのだ。ライカートの場合、女性本来の役割というよりも、世の中の煩わしい決まりごと、映画製作でいえば起承転結を伴うプロットから作品そのものを解放させようとしている気がするのである。彼女の映画の中に、最後まで目的も定まらないままふらふらと社会を漂流するアメリカ人か数多く登場するのは、きっとそのせいなのだ。
いまやジム・ジャームッシュに代わる次世代インディーズ界の旗手とまで評されるケリー・ライカートは、最新作『ファースト・カウ』がフランスの映画批評誌カイエ・デュ・シネマでベスト1の評価を受けるほどメジャーな存在になりつつある。そんなライカートの評判に目をつけたわけでもなかろうが、ハリウッドのフェミニスト系メジャー俳優から逆オファーがあったとしても不思議でもなんでもない存在なのだ。大分前振りが長くなってしまったが、ここからが本題である。
職を求めて愛犬ルーシーと共にアラスカへ向かうウェンディ。旅の途中で立ち寄ったオレゴンのとある街で車がえんこ、スーパーで犬の餌を万引きしたところを見つかり半日間留置場へ。その間、スーパーの駐輪場に繋いでいたはずのルーシーがいなくなってしまい...要するに目的地にたどり着く途中で思わぬ足止めをくってしまう女性の物語なのだが、例によって何らかの救いがウェンディに訪れることはない。最初の晩に無断駐車した場所の守衛に優しくしてもらったぐらいで、結局ポンコツ車は廃車、折角見つかったルーシーをも手放してしまうのである。
ハリウッド映画によく出てくるような、その身にふりかかる困難に立ち向かいそれを克服し幸せをつかみ取るようなヒロインではないウェンディは、野宿しているところをホームレスや酔漢に襲われやしないかと常にビクビク怯えているチワワのような?女性なのである。そして天罰がくだるやいなや、他人にたよることもせず簡単に物事を諦めてしまう。が、そんな困難をやり過ごすかのように、ウェンディが時折口ずさむ鼻歌に、観客は底知れぬ深い癒しを覚えるのである。立ち去るウェンディの背中を悲しそうに見送るルーシーの寂しそうな鳴き声とともに。クーん🐶
ウェンディ&ルーシー
監督 ケリー・ライカート(2008年)
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