小津安二郎「紀子三部作」の1作目。行き遅れの娘(原節子)とその娘の将来を心配する父(笠智衆)の交流を親密に描いた本作品は、“近親相姦一歩手前のあぶない映画”のような評価のされ方をしている。これが普通のホームドラマならば、自分がお嫁に行った後一人残される父親とそれを心配する娘の間に、亡くなった母親の回想シーンなどワンクッション入れたりするものだが、母親はおろか紀子が結婚するお見合い相手も、小津は一切登場させていない。
後妻をもらった叔父さんを「汚らしい」と言ったり、「(お嫁に)行っちゃえばいいのよ」と結婚を促す友人に怒りとも思える感情を爆発させる紀子。しかも、お見合いを勧める父親には、「私このままがいいの。お父さんと一緒が一番楽しいのよ」なんてわがままを言うかと思えば、有名な狂言観劇シーンで後妻候補を盗み見する原節子の視線には明らかに殺意さえ感じられるのだ。そんなこんなで、「こりゃ度のすぎるファザコン娘の話なんじゃないか」と観客(特に外国人)は想像をたくましくせざるをえないのである。
結婚前に訪れた京都の宿で一つの部屋に布団を並べて父と娘が眠るなんて状況も、当時の習慣からすればある意味“異常”であり、論争まで引き起こしたという“壺”にいたっては、紀子の性倒錯的欲求不満のシンボルなどと曲解されてもいたしかたない演出を、あえて小津は選択している。笠智衆が「泣けませんなぁ」と断ったラストで、もしも周吉が監督の指示どおり号泣していれば、「やっぱり、あんたもそうだったの」と納得して終りなのである。
前年に東京裁判があったばかりの敗戦後間もない頃に発表されたこの映画には、GHQ占領下であることを全く感じさせない日本の美しい原風景がおさめられているが、紀子が頑なに守ろうとした(近親相姦的とも思える)純潔と重なってみえなくもない。だとすればこの映画、占領下政策によってアメリカに次々と“股を開いていく日本”に汚らわしさを感じ、<美しい国、日本>の復権を試みた小津のささやかな抵抗とみることはできまいか。
晩春
監督 小津 安二郎(1949年)
〔オススメ度 〕
後妻をもらった叔父さんを「汚らしい」と言ったり、「(お嫁に)行っちゃえばいいのよ」と結婚を促す友人に怒りとも思える感情を爆発させる紀子。しかも、お見合いを勧める父親には、「私このままがいいの。お父さんと一緒が一番楽しいのよ」なんてわがままを言うかと思えば、有名な狂言観劇シーンで後妻候補を盗み見する原節子の視線には明らかに殺意さえ感じられるのだ。そんなこんなで、「こりゃ度のすぎるファザコン娘の話なんじゃないか」と観客(特に外国人)は想像をたくましくせざるをえないのである。
結婚前に訪れた京都の宿で一つの部屋に布団を並べて父と娘が眠るなんて状況も、当時の習慣からすればある意味“異常”であり、論争まで引き起こしたという“壺”にいたっては、紀子の性倒錯的欲求不満のシンボルなどと曲解されてもいたしかたない演出を、あえて小津は選択している。笠智衆が「泣けませんなぁ」と断ったラストで、もしも周吉が監督の指示どおり号泣していれば、「やっぱり、あんたもそうだったの」と納得して終りなのである。
前年に東京裁判があったばかりの敗戦後間もない頃に発表されたこの映画には、GHQ占領下であることを全く感じさせない日本の美しい原風景がおさめられているが、紀子が頑なに守ろうとした(近親相姦的とも思える)純潔と重なってみえなくもない。だとすればこの映画、占領下政策によってアメリカに次々と“股を開いていく日本”に汚らわしさを感じ、<美しい国、日本>の復権を試みた小津のささやかな抵抗とみることはできまいか。
晩春
監督 小津 安二郎(1949年)
〔オススメ度 〕