ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

のだめカンタービレ 最終楽章 前編

2010年04月21日 | 激辛こきおろし篇
TVドラマ版は毎週欠かさずにみていたのだが、SPドラマ→映画と入れる器が大きくなるにしたがって、コンテンツの面白さが逆に半減していったように感じたのは私だけだろうか。千秋→玉木宏、のだめ→上野樹里のノーマル?なキャスティングはともかく、ドスケベ指揮者・巨匠シュトレーゼマンを付け鼻の竹中直人にやらせてしまうアブ・ノーマルな演出がとにかくおかしかったTVドラマ版に比べると、この映画版まったく面白くないのだ。

お話が国内にとどまっているうちはそういった演出も許容範囲だったものの、飛行機恐怖症を克服した千秋が世界へはばたき、本物の外人がスクリーンに登場するようになってくるともうのダメ?、映像が安っぽく見えてしょうがないのである。のだめと千秋の関係も映画版では比較的落ち着いてしまっているため、セクハラ&ドメバイすれすれののだめの変態性?や千秋の暴力性?がほとんどなりをひそめてしまっているのも、オリジナルファンとして非常に寂しいかぎり。

要するにこの映画、海外オケの常任指揮者に就任した千秋が、やる気のない楽団員をなんとかまとめてコンサートを成功させるまでを描いた普通(以下の)ヒューマンドラマと化してしまっているのだ。ペラペラと日本語をしゃべりまくる外人楽団員のみなさんに終始違和感を覚えながら、時折登場する外人に扮したオリジナルメンバーたちがさらにウソ臭さを助長している、そんな印象さえ残る前編となってしまった。

クライマックスのコンサートで演奏されるチャイコフスキー「1812年」やバッハのピアノ協奏曲にしても、私のようなクラシック素人にはなじみの薄いマニアックな曲目であり、いまいちノリきれなかったというのが正直な感想。(『ベニスに死す』と同じ)マーラーの第五交響曲アダージョをBGMに重苦しいエンディングを迎えた前編から察するに、現在公開中の後編もおそらく同じようなテイストを引きずっていることだろう。

「キャラクター・イメージと曲目がまったくあっていない」と専門家に酷評されたバンクーバー・オリンピック浅田真央のフリー演技と同じ罠に、本作が陥っているような気がしてならないのだ。ウィーン楽友協会を貸し切った冒頭シーンなどで、映画を豪華にみせたい気持ちもわからないではないが、そういった中途半端な本物志向がコンテンツ本来のなんちゃって的魅力をそぐことに、制作側は気づいていなくてはならなかったのだメ?。

のだめカンタービレ 最終楽章 前編
監督 武内 英樹(2009年)
〔オススメ度 

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