難解というよりも一見意味不明な本作は、批評家ごとに目のつけどころがまったく異なるユニークな作品だ。監督アルノー・デプレシャン曰くマーティン・スコセッシの真似をしたという音楽のつかい方に着目した人もいれば、家族が不協和音を奏でる原因をニーチェがしるした道徳に求めた人、そして映画ラストに語られるシェイクスピア『真夏の夜の夢』の一説から類推した解釈も散見されるが、いずれも映画の一部分をふくらませただけの各論にとどまっている気がする。一度見ていただければお分かりいただけるのだが、とにかくとらえどころのない印象を受ける映画なのである。
長男ジョセフの病死をきっかに一度崩壊した家族が、そのジョセフと同じ病=骨髄性白血病を発症した母ジュノン(ドヌーヴ)のために、クリスマスの夜一同が実家に大集合する群像劇。その次男アンリを演じたマチュー・アマルリックによれば、俳優の一挙手一投足、指の動きにいたるまでデプレシャンから細かい指示があって、役柄に感情移入して演じている俳優は現場に一人もいなかったという。まさに“影法師”として演じることを求められた演出だったらしい。結局、血液検査の結果このアンリと、長女エリザベス(アンヌ・コンニシ)の一人息子ポールの血液だけが適合し、そのアンリがジュノンへの骨髄提供者として手を上げる。
故長男ジョセフが病気を発症した時は、生まれてくるのが遅かっただけで役たたずのレッテルをはられたアンリが、金銭トラブルが原因で絶縁状態にあったものの逆にジュノンの命を救う、という皮肉な物語。その他、アンリがユダヤ教信者のガールフレンドを家に連れてきたり、エリザベスの夫がアンリを突如殴りつけたり、精神不安定なポールが刃傷沙汰を起こしかけたり、末っ子イヴァン(メルヴィル・プポー)の妻が三男シモンと一夜だけの不倫に走ったり、と病親ジュノンのことなどそっちのけで各々自分勝手な行動をとりつづける様子が、ショートショートストーリーとして矢継早につづられていくのである。
「(家族がうまくいかないのは)彼らが親とか兄弟である以前にただの個人であるからなんです」 (アルノー・デプレシャン)
各々の家族がそれぞれの問題を抱え悩みをなかなか解決できないでいる状況の中で、一人道化のごとく振る舞う問題児アンリのズッコケプレーが場をなごませ、いつしか妹弟間に築かれた心理的な垣根さえも取り払ってしまう。最後は、かのモーゼの唱えた“十戒”も忘れお互いいがみ合ってばかりいた家族が見事に仲直り再生し、翌朝ジュノンに見送られながら快く邸を後にするのである。
本作の宣伝用ポスターを見てピンと来た方もいらっしゃるとは思うが、実はあのダ・ヴィンチの傑作「最後の晩餐」との類似性を発見できるのである。キリスト+12人の弟子=13人と同数の家族が、絵と非常に似かよった構図で配置されているのである。一家の中心ジュノンがキリストだとすると、劇作家でもある長女エリザベスは黙示録手記者ヨハネ、ナイフで刃傷沙汰を起こしそうになったポールはペドロで、唯一のユダヤ教信徒フニアがユダ、問題児アンリはキリスト教迫害者から後に回心して使徒に加わったパウロ(原画には存在しないけど)あたりを想定していたのではないだろうか。ラストに語られる“影法師”とはもしかしたら、キリスト及びその使徒たちを投影した役者たちの姿のことだったのかもしれない。
クリスマス・ストーリー
監督 アルノー・デプレシャン(2008年)
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