ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

僕の村は戦場だった

2022年07月17日 | なつかシネマ篇

米ソ冷戦の真っ只中、キューバミサイル危機が起きた1962年公開のタルコフスキー長編デビュー作である。ソ連兵士だけで2000万という犠牲者を出したといわれる第二次大戦中の独ソ戦、その前線となっているある沼地の村で、ソ連側の偵察兵としてはたらく12歳の少年イヴァンの目線で語られる。ドキュメンタリー映像をおり混ぜながら、ナチスドイツの蛮行を伝えようとするシーンが数多く見られる反戦映画ではあるが、この映画の見処はそこではない。

ここが戦場かと思われるような静まりかえった沼地の森。影絵のようになった木立の隙間に、ドイツ軍が放った照明弾が星となって暗がりに浮かび上がる。水面にうつったその景色はまるでゴッホの絵画さながらだ。私はこのシーンをみて、サム・メンデスの『1917』を思い出した。花火のようにあたりを照らし出す照明弾の中、伝令兵が廃墟となった戦場を駆け抜ける幻想的なシーンである。そのカメラを担当したロジャー・ディーキンスもきっとこの映画を参考にしたに違いない。

偵察任務に疲れはてた少年イヴァンが見る夢のシーンも、これまた数多くの映像作家を虜にする甘美な水蜜に満ちている。蝶になった少年が空に舞い上がる冒頭。ナチスの爆撃にあって死んだ母親や妹と遊んだ村がまだ平和だった頃の思い出。“星”が浮かんだ井戸の水、トラックに山積みしたリンゴに降り注ぐ突然の雨、海辺に散らばったそのリンゴを食む馬、そして妹とかけっこをした洋光煌めく海辺。戦場の惨たらしい現実の合間に挿入されるこれら映像美は、デビュー作にしてすでに完成の域に達している。

普通の映画監督ならこういった美しいシーンを、戦争の残酷さを描くために利用したりするのだが、タルコフスキーの場合はその逆、芸術的に美しいシーンを描くために戦争を利用している。そんな気にさえさせる根っからの“芸術バカ”なのである。テキストに置き換えることが可能なメッセージ性を映画に求めがちな批評家たちからは軽く扱われるタルコフスキーであるが、彼の映像美が後世の映画に与えた影響ははかりしれない。映像作家を名乗る監督ならば一度は真似してみたいタルコフスキーなのである。

僕の村は戦場だった
監督 アンドレイ・タルコフスキー(1962年)
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