ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

ニンフォマニアックVOL.1&2

2024年08月11日 | なつかシネマ篇


ほとんどボカシが意味をなしていない性器、性器、性器のオンパレード。ポルノさながらの本番プレーや、SM、堕胎、レズにスカトロまで、1&2合わせて5時間半という長尺におさめたラース・フォン・トリアー、完全にイってます。『アンチクライスト』『メランコリア』に続く“鬱”三部作のトリをつとめる本作は、下世話なコメディなのかダークな悲劇なのか、いまいちとらえどころがない1本だ。基本的には、天に唾を吐き続ける天然色情狂ジョー(ステイシー・マーティン&シャルロッテ・ゲンズブール)と、ヨーロッパ教養主義を代表する童貞オヤジセリグマン(ステラン・ストルスガルト)との対峙が見処となっている。

前半は、シルビア・クリステル似のステイシー・マーティン演じるジョーが一晩に7~8人の男とやりまくったがために、一番愛するジェローム(シャイア・ラブーフ)と結ばれるって時に不感症になってしまうまでを描いている。えっ?こんなところではじめちゃうのというシーンが延々とつづくため、さすがに途中で飽きてくるのだ。評価としては3.5ぐらいの退屈な前編に比べ、語り部ゲンズブールが本人役で登場する後編はかなりの出来で、4.5ぐらいはあげてもいいだろう。前編を思い切りはしょったらもしかしたらうまく1本にまとめられたのでは。そんな気がするぐらい全体的には冗長だ。

おし掛け元女房のユマ・サーマンや借金取りの元締めウィレム・デフォー、右耳がかけた少女ミア・ゴス等の出落ちは、それはそれで見ていて面白いのだが、本筋にはあきらかに不要なオマケキャラである。ゲンズブールの生身の肉体から発せられるリビドーと、ストルスガルドが体現する西方キリスト教的理性による抑制のぶつかり合いが、本作のまごうことなきテーマだっただけに少々寄り道しすぎの感は否めないのである。

枠物語風に自らの異常な色情狂体験談を次々に披露するジョーに対し、フライフィッシング、フィボナッチ数列、バッハの3声、東方教会vs西方教会、イエスの変容、プロチョイスvsプロライフ、トーマス・マンの幼児性愛癖等の教養をふりかざし、ジョーを正論で論破しようとする冷静なセリグマン。そんなキリスト教的というか道徳倫理的なセリグマンの意見や態度はすべて“偽善”であると、ジョーはあくまでもこれを拒絶する。特に、少女時代幽体離脱をしたジョーが歴史上最強のド淫乱といわれる二人の女性の性霊?にはさまれて、オルガスムスに達するエピソードは🍯で、アンチクライストを自認するトリアー節全開のシーンといえるだろう。

まるでフロイトのようにわたしの色情狂を分析したりしてるけど、本当にセクシュアリティを完全に捨て去っている修道士なのかしら。私の寝ている部屋に何にも飾ってないのはすなわち、家の家具の角という角をオナニーできないように私が緩衝材でグルグル巻きにしたのと一緒じゃない。急所を探りあててちょいとつついてやればあの幼児性愛男のように、ほーらね⤴️じゃない。結局私のエロ話を聞いてムラムラしちゃったスケベオヤジだったってことでしょ?これじゃあ女がこの家にいつかないわけよ。私の子猫ちゃん?は家に帰りたがってるの。じゃあね、バキューン!

ニンフォマニアックVOL.1&2
監督 ラース・フォン・トリアー(2013年)
オススメ度[]

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