今日は節分。
鬼をやりました。
昨年4歳だった息子は大泣き。
今年で最後になるかと思っていましたが、5歳になる今年も昨年ほどではないですが、泣いてくれました。
私の鬼にクオリティーはアフロカツラに面だけです。
長女が小さかった頃からだともう10年以上このスタイルでやっています。
鬼を長年やっていると不思議に思う事があります。
それは服も声も私(父親)なのにお面を被るだけで鬼になれる事です。
かくれんぼの時、布団の中に身体全て隠れても怖がらずに布団を剥いで見つけられます。
私(父親)が妻のワンピースを着ると大笑いです。
しかし、顔にお面を被ると鬼になれます。
1歳くらいの時はサングラスをかけるだけで泣いていました。
つまり、子どもにとって親の顔は非常に意味が大きい事が分かります。
小さい頃は顔が変われば親ではなくなるくらいの意味があるようです。
鬼の場合は恐怖心により極端な結果になっていると考えられますが、
それほど意味のある顔ですから、いつも鬼のような仏頂面では親の印象は鬼になっているかもしれません。
いつも見ている親の顔が笑顔が多ければ、かけがえのない安心感を得ていることでしょう。
ずっと笑顔は難しいですが大人の都合での仏頂面は“鬼は外!”の掛け声と一緒にさようならをしたいものです。