小学生になると成績表に数字が並ぶようになります。
便宜上、優劣を付けます。
優劣を付ける事で、選別やグループ分けが行い易くなります。
また頑張る意欲につながる事もあるでしょう。
しかし、その数字で表した優劣が個人の能力ではありません。
能力とは個人の特性×環境で決まります。
つまり能力は個人の力で完結できるものではないという事です。
例えばコミュニケーション能力をみてみます。
コミュニケーション能力が高い人を想像すると
・誰とでも流暢に会話ができる
・人前でも上手く立ち回れる
・人の話を聞く事ができる
などを挙げると思います。
しかし、このような事ができるコミュニケーションスキルが高い人でも環境が合わないとスキルを発揮できません。
クラスの人気者が怖い先生の前ではうまく話せない。
芸人が医学学会で壇上に立たされても固まってしまいます。
また、話し下手でも信頼関係の構築が非常に上手く人が集まってくる人もいます。
コミュニケーションスキルがあっても環境を間違えると上手く発揮できません。
スキルがなくても環境を捉えることができれば目的を達成することができるという訳です。
しかし世の中では便宜上普遍的な数字で表した優劣を能力と捉えてしまい、個人の特性ばかりに目を向けてスキル向上ばかり頑張る傾向があります。
それには終わりがなく、上には上がいます。
疲れてしまいます。
では能力向上ではなく何を頑張ればいいのか?
どのように生きていけばいいのか?
普遍的な数字で表した優劣を競うのではなく、固有の環境を育てる事です。
他人にはモテないけれど妻には愛されている。
学校ではいじめられているけれど、サッカークラブでは仲間とサッカーを楽しめている。
環境に適合していない事を個人の能力が原因だと考えるのではなく、
合う環境を大切にしていく事が重要です。
言い方を変えると能力を武器に世の中を渡っていくのではなく、世の中の物語の中を生きていくと考えると生きやすくなります。
自分1人の能力で結果が決まる訳でなく、自分も影響を与える事もできるけれど、結果は設定や登場人物、運や偶然に左右されて決まっていきます。
今回の物語は上手くいかなかったけれど、次のページでは上手くいくかもしれないと進んでいきます。
今回の話の最後です。
例外なく人は老いて死にます。
老いた時に能力至上主義だと、老いと共に能力は衰え喪失感に苛まれます。
固有の環境を育み、比較することなく小さな幸せを感じる事、
未来からの逆算ではなく、物語として目の前のことを楽しんで生きる。
このように考えると少し楽に生きていく事ができ、自分にも他人にも優しくなれそうです。
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