TAZUKO多鶴子

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『松尾芭蕉』と近代の俳句

2007-11-16 | TAZUKO多鶴子からの伝言
 「 秋深き 隣は何をする人ぞ 」
 
 誰でも知っている有名な俳句である。
 そう!『松尾芭蕉』の有名な俳句。
 『おくのほそ道』は余りにも有名で
 近年もブームになったようである。

俳句(はいく)とは、五・七・五から成る日本の定型詩であり、
世界最短の詩である。俳句を詠む(作る)人を俳人と呼ぶ。
俳句は近世に発展した文芸である俳諧連歌、
略して俳諧から生まれた近代文芸である。
室町時代に流行した連歌の遊戯性、庶民性を高めた文芸が俳諧であったが、
17世紀に松尾芭蕉が出てその芸術性を高め、
なかでも単独でも鑑賞に堪える自立性の高い発句、
すなわち地発句を数多く詠んだ事が後世の俳句の源流となる。
<切れ>
俳諧では、最初に詠まれる発句は、
後に続ける脇句や平句の動機となる必要がある。
そのため発句には、脇句に依存しない完結性が求められた。
そこで編み出されたテクニックが「切れ」である。
上手く切れた発句は「切れがある」と評価され、重視された。

<切れ字がなくても句は切れる>
「切れ字を入れるのは句を切るためである。
しかし切れている句というのは切れ字によって切る必要はない。
いまだに句が切れている、いないが、わからない初心者のために、
あらかじめ切れ字の数を定めているのである。
この定め字を入れれば十のうち七八の句は自然に切れる。
しかし残りの二三は切れ字を入れても切れないダメ句である、
また入れなくても切れるいい句もある。
そういう意味では四十七文字すべてが切れ字となりうる」
これが芭蕉が言いたいことであった。
つまり
切れは句の内容の問題で、
切れ字があるなしの問題ではないということである。
切れ字がないのに、切れている例としては、
たとえば
    旅に病んで 夢は枯れ野をかけめぐる 芭蕉
がある。
「旅に病んで」の後で切れている。
しかし
俳句の世界も『正岡子規』から近代流れが変わった。
やはり『松尾芭蕉』を私は凄いと思う。
今日は『松尾芭蕉』の詳細を更にご紹介します。
今回も手元に資料が無い為
『Wikipedia』を中心に書き込み致します。
下記を是非ご覧下さい。

松尾 芭蕉
(まつお ばしょう、寛永21年(1644年) - 元禄7年10月12日(1694年11月28日))は、
現在の三重県伊賀市出身の江戸時代前期の俳諧師。
幼名は金作。通称は藤七郎、忠右衛門、甚七郎。名は宗房。
俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、芭蕉(はせを)と改めた。
蕉風と呼ばれる芸術性の高い句風を確立し、俳聖と呼ばれる。

芭蕉が弟子の河合曾良を伴い、
元禄2年3月27日(新暦1689年5月16日)に江戸を立ち東北、
北陸を巡り岐阜の大垣まで
1689年、弟子の河合曾良を伴って『奥の細道』の旅に出、
1691年江戸に帰った。
その最期も旅の途中であり、大坂御堂筋の旅宿・花屋仁左衛門方で
「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」
の句を残して客死した
(よく辞世の句と言われているが結果論である。
「病中吟」との前詞があり、辞世とは当人も意識していなかった。
なお、
「秋深き 隣は何を する人ぞ」
は、死の床に臥す直前に書いた句である)。
享年51

参考資料:『Wikipedia』内「俳句」・「松尾芭蕉」