今日は『禅』の本から
有名な話しをご紹介します。
下記をご覧下さい。
<独座大雄峰(どくざだいゆうほう)>
ある僧が、百丈懐海(ひゃくじょうえかい)に尋ねた。
「仏法における奇特(最高にすばらしい)のこととは、
なんでしょうか」
「私が、ここに坐っていることだ」
答えを聞いた僧は、ひれ伏して礼拝した。
すると、百丈は、その僧を棒で打った。
『碧巌録』第二十六則
この話しの真意は不明で、過去様々な解説がある。
その解説を読んで
TAZUKO多鶴子は間違いのように観じる。
様々な解説が私には合わないと感じる。
真意は、とても、とても奥深いものではないかと…
奥深く真意を観抜いたものが無いので、
TAZUKO多鶴子が間違っていると感じている下記解説を
今日はご紹介致します。
下記解説を読んでお考え頂きたく思います。
『 <解説>
…この百丈の答えを聞いた僧も、勝手むやみにありがたがって
平伏したのではないかという気もする。
しかし、これは間違いのようである。
「百丈は、その修行僧が十分会得したくせに
さらに教えを要求していることを見抜いたから打ったのである」
と解説している本もあるにはあるが、
白隠慧鶴は、
「直ちに礼拝した僧の気合いを評価したので打った」
といっている。
顧みれば、確かに禅問答には
「正答しても打ち、誤答しても打つ」という傾向があった。…』
参考資料:『禅の本』
発行所:(株)学習研究社