画かれた画に美を歌った画が一枚でもあつたでありませうか。
この画は駄目だとか月並みだとか言ふのは、
面白いか面白くないかそれだけの違ひです。
画家の手を一度離れた作品は、
如何に芸術的に高度な内容を持っていても、
それは結局自然物に近い美術品と、
同じ物品に違ひありません。
そして作者が死ねば最後にはこのセリ市に登場して、
何時かは書画骨董の土俵に立つて、
人間の根強い趣味の審判を受けなければなりません。
作者が死ねばと度々言ひますが、
作者が死ぬと相方から「積り」と謂ふものが一度は消えます。
芸術家として立派な態度、
癖のある独特な構想、
傾向的な新しい内容、
斬新な分からない意匠、
手に余る非造形的な冒険、
これらの意図をひつくるめて……
この芸術的な余りに芸術的な近代意欲が、
力強く画面に盛り上がつた「積り」が……
時と共に清算されるのを経験します。
一体芸術的といふ今日の意味自体が、
若しかすると現代美術の積もりかも知れません。
一昔前には積りが積りだけで盛り切れなくて、
岸田劉生が「あるてふことの不思議さよ」……
と画に書入れたものでありました。
…… 青山二郎 ……
〈参考資料〉『青山二郎・全文集』
著者:青山二郎
発行者:菊池明郎
発行所:(株)筑摩書房