今日は有名な『寺田屋』に行って来ました。
多くの方が知っている坂本龍馬の暗殺事件。
あの有名な歴史に残る事件に出て来る名称『寺田屋』。
その『寺田屋』まで行って来たのですが、
あいにく月曜日がお休みで、
残念ながら中には入れませんでした。
色々と調べてみると、当時の建物と違っているそうですが…
当時の様子を再現した状態でしょうから、
それを知る為には一度は見ておきたい所でもありました。
今日はお休みにも関わらず、
沢山の観光客が写真を撮っていて
その会話から聞こえて来るのは『龍馬…龍馬』の名前ばかりでした。
今だに慕われ続けている『坂本龍馬』。
私も大好きな人物の一人です。
でも…龍馬だけで無く…幕末の志士達には敬服するばかりです。
以前の個展イベントで『幕末の志士達展』をしましたが、
作品を制作する為に、
当時の志士達の様々な生き様の歴史を調べてみました。
あの若さで彼らはやはり皆凄いです。
志を持って命を燃やし、
強く生きた志士達。
その時に感じた深い感動を今も忘れません。
はたして…今の人達に…
あの生き方が出来る人が…
どれだけいるのでしょうか?
そんな事を考えながら…
『寺田屋』を後にしました。
<寺田屋事件>
寺田屋事件(てらだやじけん)とは江戸時代末期の京都郊外の伏見(現在の京都府京都市伏見区)の旅館・寺田屋で発生した事件である。以下の2つの事件が寺田屋事件と呼ばれる。
1 文久2年(1862年)に発生した薩摩藩尊皇派等の粛清事件。
2 慶応2年(1866年)に発生した伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件。
<坂本龍馬襲撃事件>
慶応2年1月23日(1866年3月8日)、宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行配下の捕り方が捕縛ないし暗殺しようとした事件。
龍馬は同宿の養女・お龍の機転と護衛の三吉慎蔵の働きにより危うく回避し、しばらくの間は西郷隆盛の斡旋により鹿児島に潜伏する。お龍は風呂から裸のまま2階へ階段を駆け上がり危機を知らせた。龍馬は主に銃で反撃。左手の親指を負傷。
<現在の寺田屋との関係>
現在の寺田屋の建物には事件当時の「弾痕」「刀傷」と称するものや「お龍が入っていた風呂」なるものがあり、当時そのままの建物であるかのような説明がされている。しかし、これらの事件当時の建物は鳥羽・伏見の戦いの兵火で焼失しており、現在の京都市伏見区南浜町263番地にある建物は当時の敷地の西隣に建てられたものである(明治38年(1905年)に登記されている)。特に湯殿がある部分は明治41年(1908年)に増築登記されたもので、当時のものではあり得ない(お龍はその2年前に病没)。
当時の建物の敷地は現在の建物の東隣にある、石碑や像などが建っていて寺田屋の庭のようになっている場所(京都市伏見区南浜町262番地)であるが、この土地は大正3年(1914年)に所有者(寺田屋主人とは血縁関係にない)から当時の京都府紀伊郡伏見町に寄付され、市町村合併を経て現在は京都市の市有地である。
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