TAZUKO多鶴子

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九州国立博物館蔵『虫の知らせ』購入(^-^)

2008-09-10 | TAZUKO多鶴子からの伝言
「医者を選ぶのも寿命のうち」
病弱だった母が常に言っていた言葉である。
西洋医学では完治出来なかった母は東洋医学にも感心があった。
その影響か…西洋医学中心の現在に関わらず、
私は東洋医学にとても感心がある。
特に京都に転居してからは、
東洋医学中心で補助的に西洋医学と結びついたお医者様にご縁を頂いた。
今そのお医者様から多くを教えて頂いている。
そのご縁で知った『虫の知らせ』という本を、
今日やっと手に入れる事が出来た。
この『虫の知らせ』という本は
九州国立博物館に展示されている、
戦国時代に著された鍼術の秘伝書『針聞書』(はりききがき)である。
また、この本はそのお医者様の後輩が書かれたものだそうである。
そしてその内容は興味深い事ばかりでTAZUKO多鶴子は多くの学びがある。
その一部を今日は皆様にご紹介致します。



われわれ日本人は、虫にたいして古代から親近感を抱いてきた。
……
奈良・平安時代になると、われわれの祖先たちは、セミや秋鳴く虫の声に
耳を傾けるようになる。
『万葉集』では、「夕月夜心もしのに白露の置くこの庭に蟋蟀鳴くも」
などのように、ただコオロギが鳴いているというだけだったが、
平安時代の和歌になると、
「わがためにくる秋にしもあらなくに虫の音聞けばまづぞ悲しき」
というように、虫の声
を聞いて悲しいとか、わびしいなどの感情が伴うようになる。
そして嵯峨野からとってきたマツムシやスズムシを
貴族たちの屋敷の庭に放すようなことも、
平安時代の中ごろから始まっている。
日本語には、他の国のことばにくらべて「虫」の語のつく表現が多い。
思いつくままにあげてみても、

飛んで火に入る夏の虫
一寸の虫にも五分の魂
……
本の虫、仕事の虫
弱虫、泣き虫
……
それにつけても思うことは、こんなにたくさんの虫を思いつくのは、
やはり日本人ならばであろう。
昆虫学者でもない一般の人々が、セミにしても、秋鳴く虫にしても、
セミならセミで、ニイニイゼミ・アブラゼミ・ミンミンゼミ・ヒグラシ・クマゼミ・ツクツク法師などなど、
……
その鳴き声を聞き分け、またそれらの名前をみな知っているような国民は、
あまりいない。
多くの西欧人にとって、虫の鳴き声などは、
日本人のように耳を傾けるのではなく、
単なるノイズにしかすぎないし、セミもバッタもイナゴも区別することはなく、
全部まとめてローカスト(locust)の一語ですませてしまっているのである。
このように、奈良・平安の時代から、実際の虫たちに親しみ、
知識を蓄えてきたところに、
『針聞書』のような空想の産物も生まれたのであろう。


参考資料:『虫の知らせ』   
     笠井 昌昭 (著),
     長野 仁 (著),
     ジェイ・キャスト (編集),
     茂利 勝彦 (イラスト)

     発行者:蜷川真夫
     発行所:(株)ジェイ・キャスト