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TAZUKO多鶴子

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明日は紀伊國屋・加古川店『TAZUKO多鶴子個展』…準備で大忙し!

2008-09-13 | 個展
 明日はいよいよ紀伊國屋書店・加古川店の
個展イベントです。
今日はその為の最終準備で大忙しです。
さて~今日も明日も頑張るぞ~!


 <紀伊國屋書店 第三回 加古川店>
『一日だけのTAZUKO多鶴子個展イベント』

 会場:紀伊國屋書店 加古川店
 会期:2008年9月14日(日)
 開催時間:10:30~18:00

   〒675-0065
  加古川市加古川町篠原町字三ッ升21-8
  ヤマトヤシキ加古川店6F
  営業時間 10:00~19:00
  店休日    9月|無休

  *お問い合わせ先*
  TEL 079-427-3311
  FAX 079-427-3621

  
『TAZUKO多鶴子ネット画廊』『今後の活動』でも告知*

心に残る格言

2008-09-12 | TAZUKO多鶴子からの伝言

  この世は一冊の美しい書物である。
  しかしそれを読めない人間にとっては何の役にも立たない。
                …… ゴルドーニュ ……


  美しい姿は美しい顔に勝り、
  美しい行ないは美しい姿に勝る。
     …… エマーソン ……


  一本の美しい木ほど神聖で模範的なものはない。
            ……  ゲーテ ……


  いかなる自然も芸術に劣らず。
  芸術の仕事は全て自然の物事を真似ることなり。
          ……  アウレリウス ……

 
  美はあらゆる所にある、
  我々の眼がそれを認め得ないだけだ。
         ……  ロダン ……


  十六歳で美しいのは自慢にはならない。
  しかし六十歳で美しければ、
  それは魂の美しさだ。
    …… マリー・ストープス ……

新たな企画の公開は今暫くお待ち下さい。

2008-09-11 | お知らせ

先日からお知らせしている
新たな企画と長期企画が現在準備中です。
9月にはお知らせ出来ると先日のブログで公開しましたが…
申し訳ございません…
一つの企画は長期に渡る企画なので予定よりかなり遅れております。
発表までにはまだ今暫くかかりそうです。
今月中には、
その中の一部だけはお知らせ出来ると思いますので、
引き続き皆様のご訪問を
心よりお待ち申し上げております。


九州国立博物館蔵『虫の知らせ』購入(^-^)

2008-09-10 | TAZUKO多鶴子からの伝言
「医者を選ぶのも寿命のうち」
病弱だった母が常に言っていた言葉である。
西洋医学では完治出来なかった母は東洋医学にも感心があった。
その影響か…西洋医学中心の現在に関わらず、
私は東洋医学にとても感心がある。
特に京都に転居してからは、
東洋医学中心で補助的に西洋医学と結びついたお医者様にご縁を頂いた。
今そのお医者様から多くを教えて頂いている。
そのご縁で知った『虫の知らせ』という本を、
今日やっと手に入れる事が出来た。
この『虫の知らせ』という本は
九州国立博物館に展示されている、
戦国時代に著された鍼術の秘伝書『針聞書』(はりききがき)である。
また、この本はそのお医者様の後輩が書かれたものだそうである。
そしてその内容は興味深い事ばかりでTAZUKO多鶴子は多くの学びがある。
その一部を今日は皆様にご紹介致します。



われわれ日本人は、虫にたいして古代から親近感を抱いてきた。
……
奈良・平安時代になると、われわれの祖先たちは、セミや秋鳴く虫の声に
耳を傾けるようになる。
『万葉集』では、「夕月夜心もしのに白露の置くこの庭に蟋蟀鳴くも」
などのように、ただコオロギが鳴いているというだけだったが、
平安時代の和歌になると、
「わがためにくる秋にしもあらなくに虫の音聞けばまづぞ悲しき」
というように、虫の声
を聞いて悲しいとか、わびしいなどの感情が伴うようになる。
そして嵯峨野からとってきたマツムシやスズムシを
貴族たちの屋敷の庭に放すようなことも、
平安時代の中ごろから始まっている。
日本語には、他の国のことばにくらべて「虫」の語のつく表現が多い。
思いつくままにあげてみても、

飛んで火に入る夏の虫
一寸の虫にも五分の魂
……
本の虫、仕事の虫
弱虫、泣き虫
……
それにつけても思うことは、こんなにたくさんの虫を思いつくのは、
やはり日本人ならばであろう。
昆虫学者でもない一般の人々が、セミにしても、秋鳴く虫にしても、
セミならセミで、ニイニイゼミ・アブラゼミ・ミンミンゼミ・ヒグラシ・クマゼミ・ツクツク法師などなど、
……
その鳴き声を聞き分け、またそれらの名前をみな知っているような国民は、
あまりいない。
多くの西欧人にとって、虫の鳴き声などは、
日本人のように耳を傾けるのではなく、
単なるノイズにしかすぎないし、セミもバッタもイナゴも区別することはなく、
全部まとめてローカスト(locust)の一語ですませてしまっているのである。
このように、奈良・平安の時代から、実際の虫たちに親しみ、
知識を蓄えてきたところに、
『針聞書』のような空想の産物も生まれたのであろう。


参考資料:『虫の知らせ』   
     笠井 昌昭 (著),
     長野 仁 (著),
     ジェイ・キャスト (編集),
     茂利 勝彦 (イラスト)

     発行者:蜷川真夫
     発行所:(株)ジェイ・キャスト

『鎖国』とは…

2008-09-09 | TAZUKO多鶴子からの伝言

先日、『法隆寺』に行った時に僧侶方々がお話しされている事が耳に入った。
近年の政治経済等の日本や世界の状況の話しである。
「再び日本は鎖国をすればいい…」
その言葉を最後に耳にしてその場を立ち去った。

実は
『鎖国』という言葉が普及するのは明治以降で、
それ以後は以前の政策も『鎖国』の名で呼ばれることになったそうである。
また、
私たち近年の日本人は江戸時代の『鎖国』が悪いイメージで固定化されているが、
専門家の中にはそうで無い意見も多いのである。

つまり
「日本のように他国よりも資源に富み、
 勤勉な国民により産業が発達している国、
 つまり自給自足で豊かな国が、
 何も求めるものの無い外国人からの奸悪・貪婪・詐欺・戦争などから守るために、
 門戸を閉ざすのは適切で、そうするべきである」
 というもので、
 志筑の造語(鎖国)もこの立場からの言葉であった。

歴史を深く知る人にとっては江戸時代が一番良い時代だと言っている人も多い。
また、その時代に日本独特の文化が様々な形で花開いた豊かな時代でもあった。
時代を遡れば、
平安時代も大陸との国交が途絶えた時代もあり、
その時代に日本仏教美術の多彩な画像・彫像が誕生した歴史も残されている。

今一度、多くの日本人は過去の歴史を、
日本人の生きた歴史を様々な角度から
学び直す必要があるのではないかとTAZUKO多鶴子は痛感する昨今である。



<鎖国>
鎖国(さこく)は、江戸幕府が日本人の海外交通を禁止し、外交・貿易を制限した政策のこと。また、そこから生まれた外交関係における孤立状態を指す。しかし、実際には孤立しているわけではなく、外交だけでなく貿易の権限を幕府が制限・管理した体制である。
「鎖国」は日本だけにみられた政策ではなく、同時代の東アジア諸国においても「海禁政策」が採られた。現代の歴史学においては、「鎖国」ではなく、東アジア史を視野に入れてこの「海禁政策」という用語を使う傾向がみられる。
*語源*
鎖国という言葉は江戸時代の蘭学者である志筑忠雄が享和元年(1801年)の『鎖国論』においてはじめて使用した。
エンゲルベルト・ケンペルという人物が、江戸参府旅行を経て帰国後書いた著書『日本誌』(1712年刊)の中の、巻末の一章にあたる「日本国において自国人の出国、外国人の入国を禁じ、又此国の世界諸国との交通を禁止するにきわめて当然なる理」という題名を、志筑が「鎖国論」と変更した。この「鎖国」という言葉は、その際の新造語であり、実際に鎖国という言葉が普及するのは明治以降で、それ以後は以前の政策も鎖国の名で呼ばれることになった。そのため、近年では「鎖国」ではなく、他の東アジア諸国でも見られた「海禁」にあらためようとする動きがある。なお、当然ケンペルはいわゆる鎖国体制を肯定する立場である。
要約すると、「日本のように他国よりも資源に富み、勤勉な国民により産業が発達している国、つまり自給自足で豊かな国が、何も求めるものの無い外国人からの奸悪・貪婪・詐欺・戦争などから守るために、門戸を閉ざすのは適切で、そうするべきである」というもので、志筑の造語(鎖国)もこの立場からの言葉であった。


参考資料: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』