手織り教室を抜け出して久しぶりの二俣城散策に出た。
ヤマタケの蔵近くの山路に入ると竹林であった
竹林を抜けて丘の上へ出るとそこは皆原である、ここは縄文時代の遺跡があった。
ここから二俣の町を見下ろすと盆地の町が見えるが、遠州平野の北端の要であり、
まさに四方を山に囲まれた自然の要塞だった事がわかる。
この土地の利を得て戦国時代は二俣城を今川、武田、徳川の城として
遍歴を経て来た。その後太平洋戦争時では陸軍中野学校の分校があり
松代大本営と共に二俣もその候補地であった話を聴いたことがある。
豊橋市出身の小野田寛郎さんは陸軍中野学校二俣分校卒業である。
秘密保持法が成立しそうな現在、陸軍中野学校と重なり複雑な想いである。
やがて、戦国の城二俣城に入った。
二俣城と言えば徳川家康の長男徳川信康を忘れるわけにはいかない。
時の城主大久保忠世が在城中に起こった徳川信康切腹事件は、
非情な戦国動乱の時代を象徴している。
前の二俣城でも書いたが、桶狭間で今川義元の死を契機に、
今川から独立した家康は岡崎城に入り織田信長と講和を結んだ。
だが今川に置いて来た子信康と今川の血を引く築山御前と離ればなれとなった。
その後に三河西郡城主(蒲郡市)の鵜殿長照の遺子2人(その1人氏長はこの6年後二俣城主となる)と
家康の妻子である信康と妻築山御前の交換を成功させた。
築山御前の名は岡崎城内の屋敷が由来だと言われる。
信康は幼名を竹千代といったが、元服後に二郎三郎信康と名乗り、
名前の加冠は織田信長であった。
戦国の母子の悲劇(つづく)ので読んで下さい。
城内の紅葉が色づき石垣も映えていた。
まるで短かった徳川信康の命が燃えるように
私は思わずシャッターを切った。
蒲郡市の観光の中心地竹島海岸竣成苑内にある竹島クラフトセンターの主人が投稿するブログです。
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