TAKE-LOG 竹ログ

外国の若者たちが手織体験にやってきた

今日は竹島クラフトセンターへ外国から日本へ来ている

若者たちが三河木綿の手織体験にやって来ました。

KNTが主催する企画で外国の若者達に日本の観光を紹介し

母国に発信していただきインバンドの力としたい企画で、

その中に竹島クラフトセンターの三河木綿の手織体験を

取材に来てくれたのです。

今日は土曜日だが、先週に比べて午前中は客足も少なく

コロナの自主規制が効いてると思ったが、

午後には明るい日差しの中を沢山の観光客が訪れていた。

 

私は、屋外タープドームの設営を終わり準備万端で

若者達を待った。

 

手織体験の講義からスタートしました。

体験は三河木綿発祥の歴史と日本の織物の話から始まりました。

”日本で初めて棉が渡来した土地は三河の国であった”

”綿の種を持って上陸した崑崙人の青年とは誰か”

”崑崙国とはどこにあったのか”

などの話から始まり

綿から糸を紡ぎ、紡いだ糸を織物にする、

世界共通の技術が芽生えて世界各地で織物が作られた。

 

織物技術は世界共通であり、織物文化は気候や民族性によって

多様化し独特の文化を生み出した。

日本も世界有数の織物大国となり世界に輸出して富を得た。

それには、手織織機を動力織機に発明した豊田佐吉翁が

日本の織物に欠かすことが出来ない存在であった。

 

現在、日本有数の綿織物産地の蒲郡の街から織機の音が

消えようとしている。

なぜそのようなことが起きるのか?

生産の増大を求め技術革新に努めたが、

織物産地が今消えようとしている

 

それではいけない、

蒲郡の織物産地としての原点から検証してみようと始めた。

棉を植えて綿を採取し、糸を紡ぎ織物を織る、

その中に日本の歴史とファッションと文化が存在した

それらの原点を掘り起こし、新しい織物を発信する、

それが私の使命だと考え三河木綿の存在と共に

手織体験を通じて世界に蒲郡の文化として発信している

 

そんな講義を終えて

スタッフから織物が出来る原理と織機の操作を学びながら

手織体験が進んでいきます。

「こうして織物って出来るんですね」

「すごいな」

「綺麗に織れて嬉しいです」

「楽しいです」

嬉しいコメントをいただきました。

 

目の前に竹島海岸を眺めながら三河木綿を織る

広い芝生の中で自然に溶け込んで機を織る

現在はコロナ禍でマスクで顔は隠れたままだが

美しい物を創り、産み出そうとする心は皆同じ

 

世界中の人間がコロナと戦っています

平穏な時が来ることを誰もが願っています

今、同じ織機を使って

心を通じて世界の友と語り合う時の中で

私は幸せを感じていた。

 

今日も終わり機材を撤収して帰路に着く頃

夕日は三河湾の彼方に沈んでいた


蒲郡市の観光の中心地竹島海岸竣成苑内にある竹島クラフトセンターの主人が投稿するブログです。

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