世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 『バストラブル!inエチオピア』】

2013-12-16 20:14:22 | 日記


2013年12月17日。

《僕がこの旅の中でどうしても行きたかった国の1つ、エチオピア。しかしそのスタートは、厄介なトラブルの連続だった。しかしそのトラブルを受けて、僕はまた1つ考えさせられた。》

旅人の間で、たまにこう聞く。「スーダンって何もないけど、人がとにかく善いよ」と。

その話は本当だった。確かにスーダンの観光資源は乏しいのかもしれない。しかし、その「人」の素晴らしさはマジで凄かった。スーダン人を世界遺産にすればいいのに」と、冗談交じりで言っていた日本人がいたが、本当にそう思ってしまうほど「人」が素晴らしいスーダンだった。


旅人の間で、たまにこう聞く。「エチオピアって綺麗だし色々あるんだけど、人がちょっとね・・・」と。

そんな話を耳にしていた僕は、スーダンから陸路の国境を越えてエチオピアに入国した。僕にとって初のエチオピア。そんな話を聞いていたし、さてさてどうなることかと思っていたのだが、早速バスでトラブルが発生!

いや、だからと言ってもちろんエチオピアが悪い国だなんて決めつけるわけじゃないですよ!メッチャ良い人もホントにたくさんいます。ただ色々起きてしまったのはホントの話。今回は、そんなバスとラブの話でございます。


バストラブルinエチオピア:①荷物代?謎のバス代ぼったくり事件簿。

スーダンから国境を越えて、まずはバスに乗ろうとした僕。行き先はゴンダールという街。バス乗り場のおっちゃんに聞いたところ、目の前にいるバスがちょうどゴンダールに向かうところだという。

「おし、これはラッキー!」と、バスに乗ることにしたのだが、さて、値段はいくらか。僕は運転手に確認をした。

すると「70ブルだよ」とのこと。事前に色々調べていたので、これはおそらく適正な値段だ。よし、ならOKと思いバスに乗ろうとすると、おっちゃんが言った。「人間は70ブルだけど、荷物代は100ブルだよ」と!

は?俺は70ブルなのに荷物で100ブルだと?ふざけんな、そんな馬鹿な話があるか!

というこで、エチオピア初のバスなのに、早速紛争が勃発!バスでよくぼられるから気を付けて」という話は聞いていたが、やれやれ、早速やってきたか。

「荷物代で100ブルなんておかしい!そんな料金必要ないことは知っているぞ。旅行者だと思ってウソつくな!」と、強硬な態度に出た僕。もちろんガチで譲る気はない。

しかし相手も強硬だった。運転手もガチで100ブルを譲らない。さぁ長い戦いになるぞ・・・と覚悟を決めたのだが、そしたらなんと・・・!

この運転手は僕の荷物を天井(エチオピアのバスでは、大きな荷物はバスの天井に乗せます)から放り投げたのだ!これにはマジでムカついた!ふざけやがって、この運転手め!

しかし僕も今日のうちにゴンダールまで行かなければならない。時間はもう夕方、こんな何もない国境の街で時間を無駄にしたくはない。だが運転手も100ブルを譲らない。これは困ったというところで、冷静に話を聞いてくれる別のおっちゃんが現れた。

何を話してくれたのかは分からない。しかし、この別のおっちゃんが運転手を諭してくれたようで、何とか荷物代は30ブル、合計100ブルでどうだという結論になった。

本当は30ブルでも払いたくなかったが、もはや時間はない。止むを得ず僕は100ブルで手を打った。

「エチオピアのバスは謎の荷物代の請求があるから気を付けて」という話は聞いていた。いや~初のバスでこんなに苦労するとは・・・。やるじゃないか、エチオピア!しかし人間が70ブルで荷物が100ブルとは、なかなかやってくれたぜこのおっちゃんめ!最後に僕がバスを降りたときの笑顔が妙にムカついたぜ、ちくしょーめが!


バストラブルinエチオピア:②なぜ値上がり?謎のバス交渉人事件簿。

何はともあれ無事にゴンダールに着いた僕。ちょっとエチオピアでの時間がなくなってしまった僕は、この街はバスターミナルの近くで一泊のみして、すぐに次の目的地ラリベラに向かう予定だった。

次の日の朝。バスターミナルに向かった僕は、早速ラリベラに向かうバスを探した。どうやらラリベラに直接行くバスはなく、ガシェナという街で乗り換えをするしかないらしい。そこでガシェナ行きのバスに乗ろうとしたのだが・・・。

ここでまた紛争発生、バストラブル第2号だ。

僕はバスの運転手に直接交渉をしたいのだが、何故か横から色んな人が割って入って来る。そして彼らは、どうやらバスの値段を吊り上げているようなのだ。

「エチオピアのバスは地元の仲介者が入ってきてバスの値段を上げてくるから気を付けて」という話は聞いていた。そして彼らは、その吊り上げた分のマージンを懐に入れるのだ。やれやれ、なんと分かりやすい。情報通りじゃないか。さ~て、結局いくらになっているのか・・・?

ガシェナまでの適正値段は、どうやら100ブルにも満たないらしい。しかし僕に提示してきた値段は、なんと250ブル!いや~これまた盛ってくれたね!

ということで、第2次バス価格交渉戦争が今ここに勃発。目標は100ブルまで下げること!もちろん今回も譲る気はない。ガチで戦う気でいた。

しかしこの運転手もまた強硬だった。日本政府もこのくらい強硬だったらいいのに、と思うほど、全く譲らない。直接話そうとしても、謎の交渉人が割って入ってくるし。オマエらは引っ込んでろっつーの!しかもバスの座席はほぼ埋まっており、のんびり交渉している時間はない。

押してもダメなら引いてみろ!ということで、上手いこと運転手に笑顔を送ったり握手をしたりしながら交渉を進める。そして何とか下げられたのが、150ブル。全く納得はいっていないのだが、もはやバスの座席に空きはない。僕は仕方なく150ブルで手を打った。

しかし何なんだ、この謎の交渉人は?いきなり話に入ってきて、突然値段を僕に言ってくる。しかもそんな輩が何人か集まって来るのだ。そんな奴らも相手にしつつバスの値段も聞かなければならないのだから、これはなかなかなにエネルギーを使うのだ。まったく面倒臭い。

ちなみにラリベラの街では、水を1本買うのにもこの交渉人が入ってきて値段を吊り上げようとされたことがあった。全く腹が立つぜ、この謎の交渉人め!もう二度と関わってくんじゃねぇ!頼むからバスくらい大人しく乗らせてくれ!


バストラブルinエチオピア:③やられた・・・。バス荷物盗難事件簿。

先にも述べたように、エチオピアのバスでは大きな荷物は天井の上に載せることが多い。何とか無事にガシェナに着いた僕は、最終目的地ラリベラに向けてバスを乗り換えようとしていた。

どうやらすぐ横のバスがラリベラに行くらしい。信用できそうなおっちゃんに聞いたところ、バス代は30ブルでいいとのこと。よし、じゃあ30ブルで交渉してやる!

そして言われた値段、これまた破格の150ブル。なんやねん、この国のバスは?3連チャンで1回も適正な値段を言われたことがない。もういい加減に腹立ってくるわ!

「ふざけんな!俺は30ブルだと知ってんだよ!なめんじゃねぇ!」という勢いで強硬な姿勢に出たところ、あっけなく値段は30ブルに下がった。ホントにもう嫌になるわ。なんで毎回毎回こんな交渉しなくちゃいけないのさ!あ~面倒臭い・・・!

ムカついたものの、値段はあっという間に下げられたのでホッとした僕。荷物を天井に載せ、バスに乗り込んだ。しかし悲劇は、この後に起こったのだった。

舗装されていない荒れた道を走ること2時間以上、ようやくラリベラに辿り着いた。バスを降りて荷物を受け取る。しかし、何かおかしい。バックパックを覆っていたカバーが妙にずれているし、外れるはずのない止め具が外れている。

「あれ?変だな・・・」と思いつつも、僕はさらに小さなミニバスに乗り換え、目的の宿に向かった。

宿の部屋に入り、バックパックを開ける。そこで僕は、あの時感じた違和感の答えを初めて理解した。

「しまった、やられた!中身をパクられた!」

油断もしていた。とっても平和なスーダンに慣れてしまっていたせいもあってか、バックパックにしっかりロックをしていなかったというのもある。しかしそれでも、荷物を天井に載せるところは常にしっかり確認していたし、荷物を縛り付けるところもこの目で見ていた。それなのに、荷物を盗られてしまった。どうやら荷物を縛り付けながら、隙を見て中身を掠め取ったのだろう。

パクられたものは、ジャケットとレインコートと靴下。まぁ全て何とか取り返しがつくものなのでよかったが、問題はそういうことではない。荷物を盗られてしまった自分にも腹が立つし、何より盗んだ奴が許せない!ちくしょー、ここまで俺と一緒に旅をしてきた大事な大事な戦友なのに、奴らを盗りやがって!奴らは俺の大事な仲間なんだぞ!

しかもですよ、エチオピアに入ってこれで3回バスに乗って、全部トラブルがあるんですよ?1回たりともすんなりとバスに乗れた試しがないんですよ。全部いちいちトラブルが起きているんですよ!何なんだこの国はって、正直思ってしますよ!そして「2度あることは3度ある」の3度目は盗難ですよ!もう最悪ですよ・・・!


でも、熱くなる頭を抑えてラリベラの街を見てみた。

そう、貧しいのだ。


エチオピアの第一印象。それは、僕が想像していたよりも遥かに大きな「貧しさ」がそこにあった。

イライラする頭を抑えて、僕は冷静に考えた。font color="green">「彼らだって、きっと好きで外国人から多くの金を取ろうとしているのではない。そこには貧しさがあるのだ。彼らだって、きっと好きで外国人からものを盗ろうとしているのではない。そこには貧しさがあるのだ。」
と。

すると、スッと頭が冷えた。料金を高く請求されることもものを盗られることも、もちろん気分の悪いことだ。盗まれることに至ってはもちろん許しがたい。でも、「何故それが起きるのか」を冷静に考えたとき、怒りやイライラの先の真実や背景を、僕は理解しなければいけないと思った。


正直、エチオピアの第一印象が良いか悪いかと聞かれれば、悪い方に傾いてしまう。でもその裏には、一朝一夕では解決できない世界的な問題が存在している。神様がいるのかどうかは分からないけど、僕がエチオピアで早々に出会った苦難は、そのような世界的な問題にもっと目を向けるようにと、きっと神様が仕組んだことなのだろう。

僕はそう思うことで、心の内をまとめた。


僕の究極の目標、それはいつも言っている通り「世界平和」。このエチオピアでの出来事も、そのためのステップなのだろう。

色々あったけど、空は青いし山も美しい。綺麗だな、これがエチオピアの自然か。目の前にそれがある。ま、今はそれだけでいいか!


2013年12月17日。ラリベラの中心部にある、けっこう親切な安宿にて。



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【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 レポート!スーダンを駆け回る「熱過ぎる日本人」】

2013-12-16 02:16:14 | 日記
2013年12月15日。

《日本ではマイナーな国、スーダン。このスーダンに滞在する日本人は、わずか100名程度だという。その100名の中に、熱過ぎるほどに熱い日本人の方がいらっしゃった。その人とは、国際NGO「ロシナンテス」理事長の川原尚之さん。僕は幸運なことに、川原さんと対談できる機会を与えていただいた。》


「スーダンで活躍するNGOがすぐ近くにあるから、お伺いしてみますか?」

ハルツームで僕の滞在をサポートしてくれた方が、僕にこう声をかけてくれた。僕は即答「ぜひお願いします!」と答えた。そしてお伺いさせていただいたのが、ロシナンテスだったのだ。

理事長の川原尚之さんは本当に気さくな方で、僕のような名もなき一旅人にも温かく接してくれた。やっぱり、すごい人って懐が深い。これまで世界中でたくさんの日本人にインタビューをさせていただいたが、「この人すげぇなぁ」という人は、みんな温かくて懐がでっかい。まずはこういう人間になりたい!と、その度に思わされている。


※ロシナンテスとは・・・
スーダンでの医療活動をはじめ、スポーツなどを通じた文化交流や東日本大震災の復興支援なども手掛けている国際NGO団体です。詳しくはホームページをご覧になっていただけたらと思います。

http://www.rocinantes.org/


川原さんとはロシナンテスの活動をはじめ、これからの日本の在り方についてお話をさせていただきました。今回は、熱くて温かい川原さんの「僕が勝手にビビビッときた川原さん語録」としてまとめさせていただきます!


「僕が勝手にビビビッときた川原さん語録」①:目の前に困っている人がいる。助けたいじゃない。

外務省で働いていた川原さん。しかしその立場上、業務の範囲は限られていたという。目の前のスーダン人が困っていたとしても、そちらに手を出すことは出来なかった。西側諸国と足並みを揃えている日本政府としては、スーダンに積極的に援助をすることは難しいということだ。

「目の前のスーダン人を助けたい。そのためには・・・仕事を辞めるしかない。」

外務省の医務官として活躍されていた川原さん。一般的に見て、まさにエリートコースだ。しかしその道から外れて自らの信念を貫き通すなんて・・・並大抵のことではない。外務省にいれば、一生安泰の生活だったはずだ。それを捨てて自らの「道」を切り拓かれた川原さん。「目の前の人を助けたい」という、その言葉だけを取ってしまえば軽く聞こえてしまうが、その覚悟と行動力には本当に脱帽である。


「僕が勝手にビビビッときた川原さん語録」②:僕は援助という言葉は嫌いなんだよね、協力だと思ってる。

世界中の日本人の方々と国際協力の話をしていると、よく話題に上がるのが「日本の援助と欧米の援助」についてである。これはあくまで日本人から聞いただけの話なので一面的ではあるのだが、よく耳にするのが「欧米系のNGOは現地を尊重しない」という話である。

もちろん僕もその実態を調査研究していたわけではないんで一概に批判するつもりは毛頭ないが、その話はあちこちでよく聞く。欧米系のNGOは、あまり現地の習慣などを尊重せず、自分たちのやり方を押し通すというのだ。一緒になると仕事がしづらいと話していた日本人の方もいた。

僕は日本の援助(協力ではなく、あえて援助で)の素晴らしさは、「草の根」にあると思っている。つまり、大切なのは現地の足元にある生活であって、そこを最大限尊重する。その上で、何ができるかを共に考える。もしかしたらある意味「押し付け」てしまった方が、何らかの数字としての成果は上がるのかもしれない。

でも、それは果たして正義なのか。たとえばJICAの協力隊のような「草の根」の活動は、数字としての成果は上がりにくいのかもしれない。でも、そこに本質があると思う。僕は川原さんのお話をお伺いしていて、川原さんの心のベースにあるであろうこの「草の根」の素晴らしさ、大切さを強く感じた。

現地の人と共に歩み、「協力」をしていく。僕たち日本人が大切にしなければならない原点が、そこにあると思う。川原さんはその原点を貫いている。大切なものを僕は学んだ気がする。


「僕が勝手にビビビッときた川原さん語録」③:型にはまろうとしているよね、日本も日本人も。

「今の日本についてどう思われますか?」という僕の質問に対して、川原さんはこう答えて下さった。

はい、僕もそう思うんです。何故そう言われてしまうのか、僕もいつも考えています。

川原さんは、戦後の型からの脱却についてもお話しされていた。僕もまったく同感である。この数年の日本は、今までにない動きが出ているのではないかと僕は感じている。インターネットもこれほどまでに普及し、今までは情報の得方、あるいは発信の仕方もまるで変ってきた。日本人の心の中にも、新しい動きが芽生え始めているのではないだろうか。

しかしそれでもやっぱり日本人は「型」が好きなのでしょうか?でも、良い「型」は良い「型」でいいと思うのですが、これからの時代の「型」とは何なのでしょうか?それとも「型」なんて発想自体がいけないのでしょうか?う~ん、まさに時代の転換期・・・だと、僕は思っているのですが・・・。


「僕が勝手にビビビッときた川原さん語録」④:教育にはやっぱり「基礎体力」は必要だよ。

これからの日本の教育についてお話し下さっているとき、川原さんはそうおっしゃっていた。土台となる学びや知識、言うなれば「ある程度の詰め込み」は必要であると。

川原さんはそれを「基礎体力」「走り込み」という表現で表していた。さすが元ラガーマンの川原さんである。

僕も同感なんです。基礎や基本がなっていなければ、いくら応用ばかりやったって絶対に身に付かない。それはスポーツでも勉強でも、あるいは人生そのものでも僕は同じだと思うんです。きっと今ままでの日本は、この「基礎」ばかりが多すぎて、応用に欠けていたのではないでしょうか。だから今、その「応用」的な教育が叫ばれている。

でも、もし「基礎」を忘れてしまったら、きっと本末転倒になる。土台が崩れ去る。そしたら、日本も日本人も崩壊してしまう。良いものは残しつつ、それにプラスをしていく。大切なのは「基礎」と「応用」のバランスだ。僕は教育も、まさに転換点だと思っている。

でもその「応用」を、いつ、どのような形で教育に取り込んでいくべきなのか?これからの日本の大きな課題である。


「僕が勝手にビビビッときた川原さん語録」⑤:大人の見せ方が悪いよね、だから子どもは外を見なくなる。

実は、このセリフが僕には一番ビビビッと来たのだ。

「最近内向きと言われている日本の若者に、ぜひメッセージをお願い致します」という僕の質問に対して、河原さんは「目の前に若者がいないんだから言えないよ(笑)」と答えて下さった後、このセリフをおっしゃって下さった。

大人の見せ方・・・僕は考えた。

古代エジプトの碑文に「最近の若者は・・・」という書き出しの文章があるそうなのだが、「最近の若者」が良くないのは、そもそも誰のせいなのか?ということである。その若者を産んだのは誰よ?育てたのは誰よ?それを考えたら、自ずと答えは出てくる。

川原さんは、日本人なりの歴史観を持つことの大切さをおっしゃっていた。確かに今、日本は、そして日本人は、歴史をどう捉えるかを迫られている。隣国との領土問題やアメリカとの関係が揺らぐ中で、今まさに「日本人としての在り方」が問われている。その根幹を考えるとき、僕も「歴史観」をいかにするかは大切だと思っている。

その中で、大人はどのような「見せ方」をすべきなのか?歴史の見せ方の第一歩は、まさに学校での「歴史の授業」であろう。そこでどのような「見せ方」を教育はすべきなのか?この点も今まさに、転換期だと僕は思ってる。


ハルツームに滞在中、実は僕はロシナンテスの事務所に2回お伺いさせていただいた。言うまでもなく、非常に多忙なお方である。それなのに「お話がしたいです」という僕などのような飛び込み旅人のために、長時間お時間を割いて下さったのだ。

その懐の深さ、その温かさには、心から感謝をしております。本当にありがとうございました!


僕はやっぱり同じことを思った。すごい人って、やっぱり「何か」が出ている。何というのかよく分からないけど、「何か」が出ている。それは、普通の人にはない「何か」だ。

日本の若者には、「あ、この人何かが出ているな」と思うことがあったら、その人にどんどんくっついていって、どんどん学んでほしい。自分の直感が感じたその「何か」はきっと「何か」ある。それは「何か」のまんまでもいいと思う。無理に言葉や理屈にする必要はない。感じたものは感じたままでいい。

僕はこのハルツームで「何か」を感じさせていただいた。最後に、川原さんからいただいたロシナンテスを取り上げている某テレビ番組のDVDに出てきた、僕がビビビッと来た言葉を紹介させていただきたいと思う。


『理屈じゃない、動くんだ。』


※ロシナンテスのスタッフの皆さまとも写真を撮らせていただきました。本当にありがとうございました!


2013年12月15日。トラブル続きてイライラMAXの、ラリベラの安宿にて。


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