2013年8月12日。
極真空手の創設者である大山総裁は、壮絶な山籠もりの修行の中で最も辛かったことについて、かつて次のように述べていた。
「一番辛かったことはね、君、それは飢えと孤独だよ。」
飢えと孤独・・・。孤独か・・・。
僕は今、すごく孤独を感じている。何だか分からないけど、ものすごく孤独を感じている。
1人で旅をしていると、不思議な感覚に陥ることがある。1人故に全てが繋がり、全てが仲間になり、全てが楽しく感じる時もある。1人故に全ての因果は自分次第であり、失敗もあるが成功や充実感、達成感もまた大きい。しかし一方で、1人故にそれは限りなく孤独で、全てが意味を失いかけそうになる時もある。不安や寂しさに襲われ、どうしようもなく切なさを感じる時もある。
孤独・・・。この孤独と、どのように付き合うか・・・。
孤独とは、自分を試す「試合」の場なのかもしれない。
「一番辛いのは、孤独。」
あの大山総裁でさえ孤独は辛いというのだから、この「孤独」とは、相当な強敵なのだろう。
孤独の中でこそ、人間の精神は鍛えられるのかもしれない。孤独の中でこそ、人間の本性が試されるのかもしれない。
アマゾン河で感じた「無」にとても似ている。僕はそう感じる。
僕は今「伝えたいことがある」「残したいものがある」と公言して旅をし、そしてブログを書いているが、もしかしたらそれは後付けの理由で、本当は孤独を紛らわすために文章を書いているのかもしれない。そんなことさえ考えてしまう。
「じゃあ旅なんかしなきゃいいじゃん。」
僕の心が問い掛けてくる。
「日本にいればたくさんの知り合いがいて、日本語で会話できて、一緒に酒を飲む仲間もいて、家族も恋人もいて、全然孤独じゃないじゃん。1人で流れれば、孤独になることなんて分かり切ってたことじゃないか。何を今さら孤独かどうとか述べてんのさ。」
僕はなぜ旅をしているのだろう。なぜ旅に出たんだろう。
この旅を通じて、僕はどのように成長したいのだろう。本当は何を残したいのだろう。
旅は僕にとって初めてのことじゃない。旅がどのようなものか、それなりに経験はある。それを知っていて、僕は再び1人になった。
孤独が襲ってくることなんて、分かり切っていた。
いや、きっと大山総裁だって、山に籠ったらどうしようもなく孤独になると想像できていたはずだ。それでも大山総裁は山籠もりをした。
僕なんかと大山総裁を並べて語るなんておこがましいけど、僕も「孤独」を知っていて、旅を選んだ。
僕の頭の中に、「かりゆし58」が歌っているある歌の歌詞が流れてくる。
「始まりの時はいつだって少し怖いけど、それが希望の形だってずっと分かってる。思い出に変わるのはきっと、最後の最後さ。」
そうか、そうかもしれない。
言葉にならないほどの得るものがあると知っているから、僕は旅をしているはずだ。それにはちょっとの恐怖がある。何かを始める時は、どんなに確信に満ちているつもりでも、誰にだって一抹の不安はあるはずだ。その怖さがついてまわるけど、でもその先に希望があるんだ。
孤独という怖さは、希望の形でもあるんだ。
その怖さがあるあら、成長に繋がるんだ。
少しの恐れ、怖さが共に在るこの孤独は、僕の心を試す場であり、成長の場であり、希望の形でもある。
僕は今、孤独を感じている。
よし、この孤独を受け入れよう。孤独と共存しよう。孤独と共に成長していこう。
僕は今、パナマの首都・パナマシティにいる。僕に「孤独」という希望を与えてくれているこの街。
もう少しお付き合いしますか!パナマシティと「孤独」さん!
2013年8月12日。昨日とっても苦労して辿り着いた、ちょっと治安の悪い場所にある欧米人しかいない安宿にて。
極真空手の創設者である大山総裁は、壮絶な山籠もりの修行の中で最も辛かったことについて、かつて次のように述べていた。
「一番辛かったことはね、君、それは飢えと孤独だよ。」
飢えと孤独・・・。孤独か・・・。
僕は今、すごく孤独を感じている。何だか分からないけど、ものすごく孤独を感じている。
1人で旅をしていると、不思議な感覚に陥ることがある。1人故に全てが繋がり、全てが仲間になり、全てが楽しく感じる時もある。1人故に全ての因果は自分次第であり、失敗もあるが成功や充実感、達成感もまた大きい。しかし一方で、1人故にそれは限りなく孤独で、全てが意味を失いかけそうになる時もある。不安や寂しさに襲われ、どうしようもなく切なさを感じる時もある。
孤独・・・。この孤独と、どのように付き合うか・・・。
孤独とは、自分を試す「試合」の場なのかもしれない。
「一番辛いのは、孤独。」
あの大山総裁でさえ孤独は辛いというのだから、この「孤独」とは、相当な強敵なのだろう。
孤独の中でこそ、人間の精神は鍛えられるのかもしれない。孤独の中でこそ、人間の本性が試されるのかもしれない。
アマゾン河で感じた「無」にとても似ている。僕はそう感じる。
僕は今「伝えたいことがある」「残したいものがある」と公言して旅をし、そしてブログを書いているが、もしかしたらそれは後付けの理由で、本当は孤独を紛らわすために文章を書いているのかもしれない。そんなことさえ考えてしまう。
「じゃあ旅なんかしなきゃいいじゃん。」
僕の心が問い掛けてくる。
「日本にいればたくさんの知り合いがいて、日本語で会話できて、一緒に酒を飲む仲間もいて、家族も恋人もいて、全然孤独じゃないじゃん。1人で流れれば、孤独になることなんて分かり切ってたことじゃないか。何を今さら孤独かどうとか述べてんのさ。」
僕はなぜ旅をしているのだろう。なぜ旅に出たんだろう。
この旅を通じて、僕はどのように成長したいのだろう。本当は何を残したいのだろう。
旅は僕にとって初めてのことじゃない。旅がどのようなものか、それなりに経験はある。それを知っていて、僕は再び1人になった。
孤独が襲ってくることなんて、分かり切っていた。
いや、きっと大山総裁だって、山に籠ったらどうしようもなく孤独になると想像できていたはずだ。それでも大山総裁は山籠もりをした。
僕なんかと大山総裁を並べて語るなんておこがましいけど、僕も「孤独」を知っていて、旅を選んだ。
僕の頭の中に、「かりゆし58」が歌っているある歌の歌詞が流れてくる。
「始まりの時はいつだって少し怖いけど、それが希望の形だってずっと分かってる。思い出に変わるのはきっと、最後の最後さ。」
そうか、そうかもしれない。
言葉にならないほどの得るものがあると知っているから、僕は旅をしているはずだ。それにはちょっとの恐怖がある。何かを始める時は、どんなに確信に満ちているつもりでも、誰にだって一抹の不安はあるはずだ。その怖さがついてまわるけど、でもその先に希望があるんだ。
孤独という怖さは、希望の形でもあるんだ。
その怖さがあるあら、成長に繋がるんだ。
少しの恐れ、怖さが共に在るこの孤独は、僕の心を試す場であり、成長の場であり、希望の形でもある。
僕は今、孤独を感じている。
よし、この孤独を受け入れよう。孤独と共存しよう。孤独と共に成長していこう。
僕は今、パナマの首都・パナマシティにいる。僕に「孤独」という希望を与えてくれているこの街。
もう少しお付き合いしますか!パナマシティと「孤独」さん!
2013年8月12日。昨日とっても苦労して辿り着いた、ちょっと治安の悪い場所にある欧米人しかいない安宿にて。
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