世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 「スーダンで奮闘!」若き日本人ボランティアvol.2】

2013-12-13 17:20:50 | 日記


2013年12月12日。

《「世界で活躍する」と書くと、何だかとっても大それたイメージを与えてしまうが、「世界で活躍する」ってどういうことなんだろう。多国籍企業の社長になること?NGOを設立すること?果たしてそれだけだろうか。そうでなければいけないのだろうか。そうではない草の根の「活躍」にこそ、本質が隠されているような気がする。》

「私はJICAボランティアに参加すると、小学校の時から決めていたんです。」

そう力強く語ってくれた若き日本人が、スーダンの首都ハルツームで活躍している。彼女の名前は瀬戸山倫代さん。日本では栄養士をしていた彼女だが、今はこのハルツームで日々奮闘している。

今回はそんな彼女に、「世界で活躍する日本人」としてインタビューをさせていただいた。


Q1:瀬戸山さん、どうぞよろしくお願い致します。

A1:こちらこそよろしくお願い致します。


Q2:瀬戸山さんは、どうして海外でのボランティア活動に参加しようと思ったんですか?

A2:私はJICAボランティアに参加すると、小学校の時から決めていたんです。そのきっかけは、私のおばあちゃんの話でした。

おばあちゃんは私に「人は何のために生まれてきたか知ってる?」と質問しました。そしておばあちゃんはその答えとして「人はね、人の役に立つために生まれてくるんだよ。」と教えてくれたんです。私はそれを聞いて、人の役に立つ仕事がしたいと思いました。

そして小学5年先生の時の担任の先生がJICAのOBで、色々な海外の話をしてくれました。人格的にも素晴らしい先生だったんです。この先生のクラスになったことが直接的なきっかけですね。私はこの時、将来はJICAボランティアに参加すると心に決めたんです。


Q3:素晴らしいおばあさんと先生ですね!そんな出会いに巡り合えた瀬戸山さんが羨ましいです。JICAボランティアに参加する前の簡単な経歴を教えていただけますか。

A3:JICAを意識して、自分の専門や就職先を考えていました。私は日本で栄養士をしていたのですが、まずは栄養指導専門の企業に就職しました。やはり現場での経験を積みたかったんですね。その後老人ホームでの勤務を経て、某企業の社員に対する栄養指導をする仕事に就き、それを経てJICAに参加しました。


Q4:満を持して!といった感じですね!派遣国のスーダンは当初の希望とは違ったということですが、スーダンという国の印象はいかがですか?

A4:日本みたいな国、という印象です。スーダンはイスラム教が根付いていますが、その教えが日本に似ていると思うんです。たとえば「お年寄りに優しく」とか、「身の清潔を保ちなさい」とか。イスラムの教えに対して信心深いのに、何だかとってもサッパリしていて接しやすいですし。

人々はとってもお節介ですよね、良い意味で(笑)。何だか古き良き日本のような、懐かしさを感じるんです。世界的には嫌われ者の国家のレッテルを張られてしまっているようですが、私はとてもこの国に可能性を感じています。


Q5:前回インタビューさせていただいた眞下さんも、スーダンに日本的な臭いを感じているとおっしゃっていました。お2人の意見が一致しているのは興味深いですね。ここまでの活動を通して、上手くいったことや重視していることはありますか?

A5:私はまだ6ヶ月の滞在しかしていなくて、まだまだ仕事の意味では成果を残せていないと思います。でもこの半年間で、スーダンの生活習慣を否定することなく上手く馴染めていると自負しています。もちろん日本人ですから日本人であることは主張しますが、スーダンのことを理解したいと常に周囲に示しています。そういった意味では、良いスタートが切れていると思います。


Q6:現地への理解は本当に大切なことですよね。逆に、失敗談などはありますか?

A6:言葉の壁にやられていますね・・・(笑)。まだまだアラビア語が不十分なので、何を言っているのか分からないことが多々あります。そのような時、分からないからもっと説明してほしい、ということが言えないんですね・・・。もっと突っ込んでコミュニケーションを取る必要があると思っています。それでも、優しいスーダン人に助けられているんですけどね。至らない自分であることが一番の失敗だと感じています。


Q7:至らない自分・・・心苦しいですね(笑)。ではこの半年間で、得られたものは何かありますか?

A7:まずは「度胸」ですね。スーダンに来た当初は、言葉も分からない、バスの乗り方さえ分からない、値段も分からない・・・そんな状況でした。でもそんな中でも飛び込んでいって、何とかこなしてこられた。分からなければ聞けばいい。知らない人に身を委ねる勇気も付きましたね(笑)。

そして「アジア人としての自覚」が付きました。スーダンは中国人が多いこともあって、街中を歩いていると「チャイナ!」とか「ニーハオ!」とよく言われるんです。スーダン人が一番知っているアジア人は中国人であって、彼らから見れば日本人も中国人も韓国人も同じように見える。

そのことを考えたとき、「ああ、私は日本人であると同時にアジア人なんだな」ということを感じました。また、スーダン人が「チャイナ!」や「ニーハオ!」と声をかける背景には、少なからず中国人への蔑視があるようなのですが、そのことを通して、中国人の立場も考えるようになりました。


Q8:まさにスーダンの生活そのものに身を置いているからこその収獲ですね。最後に、最近内向きだとか外に出たがらないとよく言われている日本の若者に、海外で活躍する日本人の代表としてメッセージをお願い致します。

A8:海外に行くことは、やる気さえあればいつでも行けます。もし1度でも海外に興味を持ったら、その興味を大切に持ち続けてほしいと思います。興味を持ったとしても、お金の問題があったり年齢的に不可能だったりすることもあるでしょう。でも、今すぐでなくても、気持ちさえ持ち続けていれば、必ずチャンスがやって来ます。興味を持ち続け、いつかできるときに飛び出してほしいですね。

あと、別に必ずしも海外に出ることがベストな選択ではないと思うんです。海外への興味は持ってほしいと思いますが、日本でできることもたくさんあります。大切なのは、興味を持てるかどうかですよね。気持ちの問題だと思います。


Q9:「一度持った興味は大切にしてほしい」という言葉、とても共感します。お話を聞いていて、僕の方が勉強になりました。お忙しい中本当にありがとうございました!

A9:こちらこそありがとうございました!


僕はこの旅の目標の1つとして、「世界で活躍する日本人にインタビューをする」ことをテーマに置いている。ここまでの旅の中で何人もの日本人にインタビューをさせていただいたが、その度に考えさせられる。

「世界で活躍する」って、何なんだ?と。

JICAボランティアの方々にも数多くお話をお伺いさせていただいたが、彼らの活動はまさに「草の根」である。ハッキリ言って、派手ではない。よっぽどのことでもない限り、個人のボランティアの活動がメディアに取り上げられることなどないであろう。

しかし、この「草の根」こそが、「世界で活躍する」ことの本質なんだと思う。

日本は多額のODAを出資しているし、ボランティアから役人まで、数多くの日本人が海外で活動している。しかしその全ての目標は同じであって、「現地の人々の生活を向上させること」である。立場は違えど、原点となるのは「草の根」という考え方のはずだ。いや、そうでなければいけないと僕は思う。

瀬戸山さんは、そんな原点を大切にし、忘れることなく活動をされている。きっと現場のスーダン人から大きな信頼を得ていることであろう。僕は瀬戸山さんとお話をしていて、「世界で活躍する」ことの小さくて大きな原点を改めて感じさせられた。

これからの瀬戸山さんのご活躍を、心よりお祈りしております!

2013年12月12日。エリトリアとの国境付近の街、カッサラの安宿にて。

※前回インタビューさせていただいた、眞下さんと3人で記念撮影をしました~!(*^^*)


※このピザは、ハルツーム一でっかいピザだそうです。直径なんと50cm!3人で仲良く食べました~!(*^^*)



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【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 「スーダンで奮闘!」若き日本人ボランティア!】

2013-12-11 05:16:21 | 日記
2013年12月9日。

《日本ではあまり知られていない国、スーダン。在日邦人も100人程度しかいないという。そんな国スーダンであるが、この地で奮闘する若い日本人もいるのだ。今回は、そんなスーダンで活躍する若きJICA青年海外協力隊員の「自動車整備士」の方にインタビューをさせていただいた。》

彼の名前は眞下都史。スーダンに派遣されて間もなく1年になる。自動車整備士としてこの国にやってきた彼は、首都ハルツームの職業訓練校で活動をしている。

彼のすごさは、なんといっても現地人とのコミュニケーション力。巧みなアラビア語とボディランゲージを駆使して、あっという間にスーダン人との関係を築いてしまう。それは見ている方が気持ちいいほど鮮やかで、僕も感心しながらその様子を眺めている。そんな眞下さんに「世界で活躍する日本人」として、ここまでの活動を振り返っていただいた。


Q1:眞下さんの簡単な経歴を教えていただけますか?

A1:僕は高校卒業後、2年間フリーターをしていたんです。その後専門学校に進み、卒業して就職をしました。本当はJICAの活動に参加をしたかったのですが、知り合いのJICAのOBの方から「まずは経験を積みなさい。そうでないと、現地に行っても何もできないから。」とアドバイスをいただき、まずは日本で働くことにしました。

その後一度退職してまた別の専門学校に進み、別の会社に就職し直しました。そこで経験を積んだ後、思い立ってJICAの活動に申し込んだのです。


Q2:海外でのボランティア活動に興味を持ったきっかけは何だったんですか?

A2:高校生の時、テレビのドキュメンタリー番組で、日本の看護学校の学生が南アフリカ共和国で医療活動に携わる現場を見たんです。その時日本の学生は手袋とマスクをして患者さんと接していたのですが、現地の人はそれをしていなかった。それを見たとき、「ボランティアって何なんだ?」って思ったんです。なんか違和感を感じたんですね。

その番組の中では、間もなく死を迎えそうな子どもの様子が出てきたのですが、「僕はこの子に対して何ができるんだろう」と真剣に考えました。そして僕だったら、この子と一緒に笑いたいと思ったんですね。そんな様子を見ていく中で、ものすごく海外の活動に興味を持つようになりました。


Q3:なるほど、きっかけはテレビの番組だったんですね。実際にスーダンという国に来て約1年、上手くいかなかったことや困ったことなどを教えて下さい。

A3:実は僕の勤務先には別のプロジェクトも入っていて、現場がとても忙しいんですね。先生方もとても忙しく、なかなか自分なんかが意見を言うのが難しい空気がありました。あくまで僕は一隊員なので、どこまでどう話をすればいいのかと・・・。

あとは、資金の問題を感じます。今は他のプロジェクトも入っているので物品を買うことができるのですが、もしそれが終わってしまったとき、この学校はどうなってしまうのだろうと。継続して、この学校だけで運営できるようにしていくことが大事なので、そのことを心配しています。


Q4:では逆に、上手くいったことや良かったことはありますか?

A4:とっても基本的な話なのですが、南京錠の管理が一番上手くいきました(笑)。この学校は南京錠をたくさん使用していて、1つ1つのドアを開けるのがとても大変なんです。先生方もたくさんの鍵を持っていて、どれがどれだか分からなくなるんですね。

ですから僕のアイデアで、どれがどこの鍵かすぐ分かるようにキーボックスを作って番号を付けたんです。そしたら、格段にドアの開け閉めが早くなった。また難しくないので、これは1年間運用されています。


Q5:なるほど、小さな話かもしれませんが、大事なことですよね。眞下さんの普段の活動の中で、一番気をつけていることは何ですか?

A5:僕はとにかく現地の方との人間関係を大事にします。敬意を持って接し、相手を尊重する。1対1の人間関係をとにかく大事にする。それが全てのベースだと思うんですよね。押し付けではない支援にするために、そのことを常に考えています。


Q6:ここまでの活動の中で、一番得られたものはどんなことですか?

A6:とにかく人との出会いですね。それはスーダン人でもあるし、日本人でもあります。僕は未熟者なので助けてもらってばかりなのですが、それでも僕は僕にとって必要な人と出会え続けていられているということなので、それでもいいのかなと思っています。それをこの後他に還元できれば・・・。

スーダン人の方はとても繊細で優しいんですね。そこからの学びもたくさんあります。「相手に優しくすることは、自分の喜びである」ということを深く感じました。僕は活動を通しながら「もっと共に喜びたい」と、強く思うようになったんですね。そのことを感じられていることが、一番得られていることなのかもしれません。


Q7:スーダン人の優しさは、僕も日々驚かされています。では最後の質問なのですが、眞下さんのように積極的に世界に飛び出している人がいる一方で、今の日本の若者はなかなか外に出たがらない、いわゆる「内向き志向」だと言われています。そんな日本の若者に、ぜひメッセージをお願いします。

A7:「相手を知れば自分を知れる」ということですね。外に出て他の国を見ることで、日本のことを知ることができるわけです。当たり前のことが当たり前じゃないことが分かる。違いが互いに存在することが分かる。それが分かれば、いじめなんてなくなるし、世界はもっと平和になると思うんです。

そして外に出ることで、日本の素晴らしさを感じてほしいですね。日本のものはとっても丈夫なんだとか、道がとても綺麗なんだとか、赤信号で必ず止まるんだとか・・・(笑)。繰り返しになってしまいますが、日本での当たり前の中に、その素晴らしさがたくさんあると思うんですよね。中にいると気付かないそのことに、ぜひ感じてほしい。

併せて、日本の評価も知ってほしいです。海外に出ると分かりますが、日本の評価は絶対に高いと僕は思います。しかし最近、そんな先人たちが築いてきてくれたものが失われつつあるようで、そのことはとても心配しています。


Q8:「先人たちが築いてくれたもの」という想いは、僕も全く同じです。今日はお忙しいところ本当にありがとうございました!

A8:こちらこそ!ありがとうございました!


眞下さんは本当に真面目で直向きな方で、目の前にある課題に真摯に取り組んでおられる。そんな「草の根」の活動こそが日本の支援活動の根幹であり、また日本人の良さなのだろうと強く感じさせられた。

また、何より現地の方との関係を重視する姿勢にも感銘を受けた。欧米のNGOなどは「押し付け」の支援になりがちだとの話をよく聞くのだが、果たして日本はどうなのか。そうならないためにも、現地の方との信頼関係を重視する姿勢は絶対に大切だと思う。眞下さんのその直向きな姿勢に、僕は大いに学ばせていただいた。

眞下さんの任期はあと1年。ぜひ最後まで、スーダンの人々のために尽力してほしいと心から願っております。頑張れ、眞下さん!


2013年12月9日。夕暮れの風が心地よいハルツームの街中にて。



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【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 手紙『拝啓・62の親父へ』】

2013-12-10 06:57:18 | 日記
2013年12月5日。

《アラブ圏の人は、日本人だと言うとだいたい「Japanese good!」と言ってくれる。それは何故なのか、そしてこれからも「Japanese good!」と言われ続けられるように僕たちはどうするべきなのかを考えたい。》

親父へ

親父、元気にやってますか?おかげ様で僕は何の事故もなく、ここまで旅を続けられております。

怪我の具合はどう?僕が日本に帰ったら、骨を戻す手術をする決心が付いたそうですね。かーちゃんから聞きました。それは頼もしい!手術の時は僕も近くにいるから、安心して手術を受けて下さい!

さて、僕は今アフリカのスーダンにいます。数年前に北と南に分裂したこの国は、世界の、そしてアフリカの中でもかなり貧しい国の1つに数えられています。

確かに物質的には貧しいと言えるでしょうね。衛生面もまだまだです。道路も未舗装がほとんどだし、あちこちで糞尿の臭いもする。改善しなければならない点はたくさんあると思います。

そんなスーダンですが、人々は本当に温かいんです。みんな笑顔で「welcome!」と言って迎えてくれる。敢えて言っちゃいますが、エジプトのようなうざさは全然ないんですね(笑)。本当に素朴で、話しているだけで心が温まるような、そんな国民がスーダン人なんです。

スーダン人に「日本から来たんだ」と話すと、ほぼ全ての人が「Japanese good!」と言ってくれます。それは日本人としてとても誇らしいのですが、何故日本のことを褒めてくれるのか?そこが大切ですよね。

ちなみにスーダンに限らず、アラブ圏のほとんどの国は「Japanese good!」なんです。日本に対して好印象を持ってくれています。しかしその要因は、どうやら「日本人」ではないようですね。彼らに好印象をあたえているもの、それは「日本製品」なんです。

「Japanese good!」と言ってくれる彼ら。僕が「何故なの?」と聞く間もなく、彼らは話してくれます。

「日本のテクノロジーは本当に凄い。トヨタ、三菱、ヤマハ、みんな日本製だ。日本の技術は世界一だよ!」

とっても誇らしいですよね。最近は韓国車もかなり入ってきていますが、数で言えばやっぱり日本車が一番多い。もちろん日本製品は自動車だけではないですが、自動車に代表される日本製品を見て、彼らは日本という国を評価しています。

5年前にカタールに行ったときも、それは同じ評価でした。日本人だと言うと、みんな日本製品を引き合いに出して、日本のことを褒めてくれる。それほどまでに、中東、アラブ圏では、made in Japanの影響力が大きいということなんですね。

では、どうして日本の製品がそれほどまでに高い評価を受けているのか?僕はそれを、親父から学びました。

今だから言えるけど、僕は親父が大嫌いだった。「お父さん」なんて思ったことは、もしかしたら一度もないのかもしれない。でも親父が病気で倒れて僕が親父の仕事を面倒見なければならなくなったとき、僕は親父の見方が変わりました。

そしてそこに、日本製品の素晴らしさの秘訣が、とってもシンプルで分かりやすい秘訣が隠されていました。

親父の仕事は、本当に「職人」だった。普段飲んだくれてばかりの親父を見ていて、「このクソオヤジが!」とばかり思っていたけれど、仕事の時は違った。本当に丁寧に、一切の妥協なく仕事をやり抜いていた。僕はその姿に、マジでビビった。

「お宅の親父に任せとけば大丈夫、いい仕事してくれるから。」そう他の会社の方に言われたときは、何だか複雑な気持ちだった。僕は「このクソオヤジが!」とばかり思っていたのに、そんな風に褒められて・・・。でも、それはとっても誇らしかった。

親父、それが日本の「ものづくり」なんですね。

どうして日本の製品が高く評価されてきたか。それは至ってシンプルな秘訣。

「手を抜かず、一生懸命作るから。」

現場では、親父は手を抜いていなかった。一生懸命作っていた。だから親父は、周りからの信頼を得ていた。

手を抜かないものは、やっぱり良いものなんです。一生懸命作ったものは、やっぱり作った人の魂が入り込むものです。僕はそう思います。

他の国をいくつも見てきたけど、こんなに細かく繊細に、1つ1つ丁寧に仕事をする国民は日本人しかいないと思う。だから常に、世界に名立たる製品を排出し続けてこれたんですよね。これは日本の素晴らしい点として、日本人は素直に誇りに思っていいのだと思います。

もちろんこれからの時代は、ただ良いものを作ればそれでいい時代ではなくなるでしょう。「作る」から「創る」にならなければいけないし、もはやかつての資本主義経済の構造を越えていかなければいけない。

しかしそうであっても、日本の精神は必要不可欠だと思います。

「手を抜かず、一生懸命に。」

その精神、その気概は、いついかなる時でもいつの時代でも、必ず必要とされるもののはずです。


親父、あの病気の時、死ななくてありがとう。生きていてくれて本当にありがとう。


親父が生きていてくれたおかげで、僕は日本の「大事なもの」に触れられた。親父のもう1つの姿を見ることができた。

僕は親父の仕事を継ぐわけではないけど、仕事に対するその魂はしっかり受け継ぎます。でも、親父のその家庭への配慮のなさは・・・しっかりと受け継ぎませんからね(笑)!

親父、僕はもう少し旅を続けます。かーちゃんにも言ったけど、今僕は本当に大きなものを学びながら毎日を過ごしてます。

あと数ヶ月、元気に待っていて下さい。まだ死ぬなよ!俺が帰るまで絶対に死ぬなよ(笑)!

より元気になった親父に会う日を楽しみにしています。


2013年12月5日。スーダンののんびりした雰囲気が漂う街・カリマの安宿にて。
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【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 スーダン行フェリーの船上「僕の絶望」】

2013-12-09 06:40:52 | 日記
2013年12月2日。

《エジプト、アスワンからスーダン、ワーディ・ハルファに向かうフェリーの船上。ここでの光景を目にしていると、僕は何だか絶望と無力感に包まれてしまう。》

エジプトからスーダンに向かうフェリー。「かなりすごいらしいよ!」との噂は聞いていたが、それはそれはなかなかのものだった。

信じられない量の荷物に埋もれるフェリー。「いったい何をそんなに運んでいるの?」と、マジで聞きたくなる。そしてその間で、その上で眠るスーダン人。いや~なかなかタフなフェリーだ。


しかし僕がこの船上で一番感じたのは、そんな噂通りのフェリーの凄まじさではない。それよりも「僕らが日本でやっていることって、効果的なのかな・・・」という、無力感である。


それは、彼らのゴミの捨て方。


柵も何もないフェリーの甲板に座る彼ら。そして僕もその隣に座っている。彼らは水を飲んだりお菓子を食べたりしているのだが、そのゴミの行く先はどこかというと・・・。


全て、湖である。


面白いほどに、全てのゴミを湖に投げ捨てる。

ペットボトル?生ゴミ?紙屑?ビニール袋?そんなの関係ねぇ。


「湖は僕らのゴミ箱さ!」とでも言わんばかりに、バンバン湖に投げ捨てる。

僕はそれを見て、深く考えさせられる。僕たちは日本で、それなりに環境教育を受けてきたし、またそれなりに行ってきたつもりだ。少なくとも、こんな異常なまでのゴミの投げ捨をする日本人は少ないだろう。


南米の時と同じだ、この感覚、この無力感。


僕は日本で「ゴミの投げ捨てはいけませんよ」とか、「これからはゴミを減らし、再生利用していかなければいけない時代ですよ」と教えてきた。教わってきた。それは学校に限った話ではなく、メディアでも家庭でも、大筋は同じであろう。

きっとそれは、それ自体は間違っていない。正しいことのはずだ。

しかし、今僕の目の前には、あらゆるゴミを目の前の美しい湖に笑顔で投げ捨てまくる大人たちがいる。


僕は決して、このようなゴミの捨て方をするスーダン人だけを批判するつもりなどない。確かにこの行為自体は良くないのだろうが、僕たちはその背景を、そして根本的な問題点を考えなければいけないはずだ。


「窓から投げ捨てる」ゴミの捨て方を子どもに教えるボリビアの親子には、ショックを受けた。

飲み終ったビンを窓から落とし、その割れる音を楽しむベリーズの若い夫婦にもショックを受けた。

そして、あらゆるゴミをバンバン湖に投げまくるフェリーの上のスーダン人にも、ショックを受けている。



いや、「今更」の話なんですよ。発展途上国と言われている国を周れば、凄まじいゴミの散乱なんて当たり前。いちいち「今更」驚くことじゃない。それは分かっているんです。



それでもやっぱり、僕は考える。「僕たちの本当にすべきことはなんなのか」と。


「だってね、意味ないですよ?日本とかほんの一部の先進国で環境保護やら何やら取り組みしたところで、世界の多くを占めている発展途上国では、こんな状況ですよ?こんなんじゃ世界は変わらない。日本でちまちま小さな取り組みしたって、それを何倍も覆すようなことが発展途上国では起きている。これじゃ日々叫ばれている環境保護なんて、無意味ですよ無意味!」

そんな気持ちにも陥る。

じゃあだからと言って、今後一切「環境のことなんて考えるのや~めた!」でいいのか?

いや、それは違うだろう。それもまた絶対に違うはずだ。

こんなこと、以前南米でも書いたなぁ。今あの時と全く同じような気持ちだ。


「何を言っているんだ。だからこそ、色々な国際協力組織があるんだろう。政府レベルでの協力から草の根での活動まで、様々なことを日本だってやっているじゃないか。オマエはそんな活動も見てきているじゃないか。話も聞いてきたじゃないか。小さなことかもしれないけど、それを重ねていくしか道はない。一気に解決は出来ないけど、少しずつ、ほんの半歩ずつでも、前に進んでいく。それしか道はない。今目の前にある小さなことをやっていく。それでいいんだ。」

綺麗事を書こうとすれば、今の僕の文章はこんな感じでまとめたらいいのだろう。「小さなことだけど、目の前のことを頑張る。それが少しずつの進歩に繋がる」。きっと間違ってはいない。

でも、そんな綺麗な結末は止めてみる。

僕は今、発展途上国にいる。発展途上国ばかりを周っている。僕はどこかの組織に属しているなどして、発言が制限されているわけではない。だから、率直にいこう。じゃなきゃ、僕の旅の意味がない。


僕の感覚。

残念だけど、本当に残念だけど、発展途上国と言われている国の現状は、ひどい。これが世界なんだなって思う。

インドやエジプトの街。とても刺激的だ。とても面白い。


なぜ刺激的?なぜ面白い?嫌な言い方だけど、「汚さ」もその要素の1つだろう。特に日本人にとっては。

なんで「刺激的」なんて言えるの?なんで「面白い」なんて言えるの?それは僕らが所詮「旅人」だから。

もし「マジで世界の問題を解決してやる!」って気持ちで見たら、それは絶望でしかない。「刺激的」とか「面白い」なんて、口が裂けてもいえないはずだ。

そのくらいに、ひどい。僕はそう思う。

悪いのはなに?政治?経済?教育?人間?

きっと、その全てに責任があるのだろう。メッチャ複雑な歯車が不思議に噛み合って、今の世界は周っている。

日本はその歯車のなかで、「たまたま」美味しめのところを食らっているだけ。


そういう視点で見ると、旅なんてクソッタレだ。ただの「怖いもの見たさ」に過ぎない。ただの「冷やかし」に過ぎない。ただの「他の家のこと」に過ぎない。

そういう視点で見ると、旅なんて「学び」じゃないのかも。「絶望」を味わうだけだ。「無力感」に浸るだけだ。


あ~あ、また陥ったぞ、俺!どうにもならん「思考のループ」に!

でも、たとえそれが「どうにもならん」ループであったとしても、そこに陥ることそのものに価値があると僕は信じています。

だから、こうしてこの文章も書いています。

だから、旅も続けています。

だから、もうちょっとこの「どうにもならんループ」の中に身を置いておきます。草々。



2013年12月2日。夜遅くに辿り着いたら目的の宿が閉まっていて、慌てて探したすぐ近くの安宿にて。



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【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 怒涛!アスワン~スーダンフェリーin2013/12/1】

2013-12-08 05:07:08 | 日記
2013年12月1日。

《アスワンからスーダンへフェリーで抜ける旅人は多いと思います。しかし状況が刻一刻と変わるこのフェリー。今回は、そんなスーダン行きフェリーの最新情報を上げさせていただきます!》

エジプト南部の街、アスワン。ここから隣国スーダン行きのフェリーが出航します。「え?エジプトからスーダンにフェリーで?」と思われる方もいるかもしれません。実はこのフェリーは、ナイル川を堰き止めて造られたアスワンハイダムを上って国境を越えていきます。


チケットはこれ。現在は、2等席で307エジプトポンドです。隣のシールはスーダンビザですね。


チケット売り場はここ。『地球の歩き方』にも出ている「Nile Valley transport」の窓口です。これは以前と変わっていませんね。チケットの売り方がのんびりし過ぎていて、日本人にはちょっとイライラですな・・・!


現在はフェリーの出航は日曜日の夕方6時です。月曜日になったり火曜日になったりと変更が多いみたいなので、またすぐに変更する可能性がありますね・・・。最新情報を現地で確認して下さい!

また、スーダンビザがないとチケットの販売はしてくれません。でも予約はしてくれるので、ビザがない方はとりあえず予約だけしておりて、ビザが取れたら再び窓口に行ってチケットを購入するのが一番ですね!

フェリーは「アスワンハイダム駅」の港から出航です。アスワン駅から電車で1.5ポンド。所要時間約30分。発車時刻は、朝6:30,8:00だと言われました。僕は8:00の電車で行きましたが、全然問題なかったです。


駅に着いたらこんな感じ。人の数より、とにかく荷物がすごい!


9時から搭乗のための手続きがスタート。ここで出航税40ポンドを支払わなければならないので、準備しておきましょう!


荷物のチェックをして、パスポートの出国スタンプももらえば、手続きは完了です!ここの流れは全然問題ないですね。

そしてここからが大事、場所取り!良い場所を取らないと、マジで荷物地獄に埋もれてしまいます!

かなり早くにフェリーに搭乗したので、最初はこんな感じでした。「なんだ、楽勝じゃん」なんて思っていたのですが・・・


とんでもない!どんどん荷物が積み込まれ、すんごい状況に・・・!


食堂の横にはこんなスペースもあるのですが、ここはオススメしません。超閉鎖的ですし暗いし、メッチャ息苦しいです。船上に上がって外のスペースを確保した方がいいと思います!


僕は救命ボートの下のスペースを確保しました。なんせ昼間は日差しが強いので、陰になるものがないと暑くて耐えられません・・・!ちなみに救命ボートの中でも、たくさんの人が寝ていました。

こんな感じで場所を確保!ここで一夜を過ごします。


ほとんどのスーダン人は、こんな風に荷物に埋もれながら寝ていました。いや~このフェリーはなかなかなのもんですね!


トイレはここ。ま、普通に用を足す分には問題なしです。


途中でアブシンベル大神殿が湖から見えますよ!朝10時前だったかな?


注1)風がけっこう強くて寒いので、厚着をしておいた方がいいですね。僕は寝袋に包まって寝ましたが、それでちょうどよかったです。

注2)予定通りには出航しません。出航は午後6時だと聞いていたのですが、荷物の積み込みが間に合わず、結局8時過ぎの出航になりました。ま、エジプトですからね、当然です!(笑)

注3)食事券をくれるのですが、これは一回限りなんです。ですから、食料を持って行った方がいいと思います。


ということで、2013年12月1日現在の「エジプト・アスワン~スーダン・ワーディ・ハルファ」の情報でした!このルートでスーダンに行かれる方、ぜひ参考にして下さい~!

2013年12月1日。スーダン人が引っ切り無しに話し掛けてくる、フェリーの船上にて。



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