これも長い。読んでられませんね。うーん、けど書きたいことがたくさんあったんだ。
9月7日
兄は仕事でいないので、ひとりで京都散策。
ひとりで知らない街を散策するのは、そんなに、ていうか、ほぼない、初めて?だったりする。
とにかく、下町というのか、なんだか今日の都っぽいとこに行きたかったけど、
そんなのより街中がどうも気になった。
でかい街な気がした。
八坂神社
これは何の像なんだ。
ほっそい路地裏
これ奥まで続いているんだよ、ずっと奥まで、なんとまぁ。
こんなの初めて観たし、こんなのがいっぱいあって驚いた。
夕方になり家に帰りたくてバスに乗りたかったのだけど、どこで降りたらいいかもわからず、
乗りたいバスのバス停が見つからず、どんどん辺りは暗くなっていき、心細く、
iPhoneを駆使してどうにかしようにもできず、、困り、日本内でもこんなに困るときがあるんだと思った。
そいで、あるおばさんに声をかけると、その人とってもいい人で、ほっこり。ラッキーだった。
そんなんで歩き疲れて帰宅してから、大阪にいる青ちゃんと焼き肉食べに出かけた。
青ちゃんもわざわざ出てきてくれたのだ、うれしいかぎり。
ふたりで焼き肉食べて、変な感じ、だけどたらふく食べて、なんかしゃべってたのしい。
青ちゃんという奴も不思議な人で、こんなことを言う人なの。
「いや、言いたいことはなんとなくわかるけど、もっとちゃんと言って、言葉で言って、説明して」
とか言うのだよ。
なっかなかこんなふうにどーんと入ってくる人っていないよね、面白いよね、しかもおしゃべりだから私としては嬉しい限り。
いい幼なじみだなぁって、しみじみ。
けどね、兄が帰ってきてからは、二人対私みたいな感じで、ふたりのその近い感じにくっそうとなった。
私が過ごすこっちの中での、普通な感覚、それがふたりには通用しない、ふたりにとっての普通な感覚。
そりゃみんな違って当然だけど、それでいいんだけど、それがいいんだろうけど、私まだまだガキですから、ふふん。
けんど、そういうのもたのしい、いまとなっちゃ、いいなぁ、すきだなぁと。
9月8日
お昼、兄と担々麺を食べに。のあと、兄は仕事へ。
私はひとり、映画「おおかみこどもの雨と雪」を観て来た。アニメだね。
私は、サマーウォーズや、時をかける少女より面白いと思っちゃったよ。
なんかね、普通の感じが、普通の暮らし、というのか、自分たちにとっても近い感じがね、ほっこりしたし、
なにしろこどもたちがかわいかった。
そいでね、なんか知らないけど京都着いてから、経本が唐突に欲しくなっていて、しかも売っているお店見つけちゃったので買っちゃったのだ。
それから覚えるように毎日読んでいるの。
9月9日
兄は仕事お休みの日。
兄がうまいと言う有名なうどん屋さんに入った。1時間ほど並んで待ってた甲斐があった。
味はもちろんおいしくて、こりゃまた行きたいなぁと思ったほどだったけど。
とにかく、お店の雰囲気がとってもよかった。店長さんが多分いいんだろうな、働いている人みんないい笑顔なのさ。
兄も言ってたけど、ずっと行列できて忙しくて忙しくてって感じじゃないやろ?と。
ほんとに、みんなそりゃ仕事的にはてきぱきと動いているんだけど、なんかなぁ、あれ?っていうくらい、雰囲気がいい感じなのだ。
なっかなかないべぇ、ああやって働くことができるのはいいなぁって思った。
まず、店長さんのあの、ぺっかかーんん!!とした顔、そして、でかい挨拶。
すてきだなぁってなったな。
ほいでから、宇治へ向かったべさ。
京都は大きな川が多いよね、いいなぁ。
宇治はね、静かでいいとこだった。
暑くてねぇ、まだまだ夏って感じだった。
10円玉の平等院観てきた。
これもおもしろかったなぁ。
なんかさ、これ、いま見ている分にはとっても古めかしい建物で情緒あふれるって感じだけども、
実際はというか、当時は、もっともっとごてごてした中国風な色彩にあふれたそんなとこだったのさ。
そこ付属の美術館?みたいなのがあって入ったんだけど、復元した色が塗られた像とかがあってね、
こりゃすごいこちゃ、ごてごてで、これが日本だ!と言われても素直に頷けないものがあるね。
けど、昔の日本ってのはもっと想像よりもごてごてした中国っぽいアジアっぽい感じだったのかしら。
それもこういうものだけなのかもしれないけども。人々の暮らしは全然そんなことはないのかもしれないが。
わからないけど、おもしろかったばい。
そんなんで兄と見て回って、兄にとにかく感謝だ。
たまの休みを妹なんぞに割いてもらってね。
なんつーか、ほんと、兄弟は変だな、なんかなぁ、おもしろいなぁ、皆違うし。
京都からの帰り道、席の隣のおじさんが話しかけてきた。私くらいの娘がいるそうな。
とにかくほとんど話を聞くだけだったけど、改札まで一緒に歩いて、なんかね、それもまたよきかな、やったんだ。
そんな京都の旅でした。
この京都東京と、色んな人に出会えて、わざわざ私に会いに来てくれたりして、顔見てお話して、同じ空間を一緒に過ごして、
これは、なんつーか、これはすんごいことだ、と思った。
こんなことができる私という奴もなんて幸運、なんていうラッキーなやつで、ハッピーなやつなんやと自分で思った。
だって、それほど会う人皆さんが温かくて面白くて刺激的で、うれしいかった。たのしいかったです。
ありがとう、ですな。これはこれは。
あとね、旅の途中ね、ひとり、いっや~な人に1人だけ会ったのですわ。
ほんとそこまで言わんでもいいでしょ、と最近滅多に腹立てることがなくなった私が兄に愚痴ってしまうくらいの。
その時は腹立つと言うよりもちょっとこわかったんだけど、びくびくしていたんだけども。
自分がやけに穏便に済まそうと、極力元気な感じで明るい感じで済まそうとする感じが自分でもようできるな、って思った。
なんでそんな対応ができるのか、んまそれ以上怒らせたくなかったんだな、こういうことをここに書くということでまた
こんなにも印象に残っていたのか、と自分で再確認しちゃうな。
いやな思いをするのはなんでそんなにも嫌なんだろう。
好かれていいことばかり、たのしいことばかりでないのというのが、本当に人生だなと、別に達観しているわけでもないけど、
なーんかあのいやなおじさんにも会うべくして会ったんだな。と、今なら思うけど、あのときはなんでこんな人に出くわした!?と思った。
いい思いばっかじゃないぞ、と。こういうのも味わって当然で、自分の思いが全く通じない人というのもいるんだなって改めて思わされる。
色んなこと学べたかしら。
あ、学べたこと、これってのあった。
しっかりと毎日自分のために自分でごはんを食べようとすること。
何を食べたいか、決めて作ってでも何でも食べようとすること。
これは基本だなって思ったから、それがいつまで経ってもできていなかったな、と恥じたので、
最近ごはんまともに作って食べています。
自分で自分がそうやることが嬉しいです。
多分これ、ごはんだけに言えたことじゃなくて、ひとつひとつのこと、きちんとできたらということだ。
私、それがどうしてもできていないから。ずるずる人間だからさ。
変われるぞって気になってきた。むふふ。うん、これからだな。