監督・脚本:ジョン・キャメロン・ミッチェル
製作国 :アメリカ合衆国
ジャンル :音楽・ミュージカル
キャスト :ジョン・キャメロン・ミッチェル
スティーブン・トラスク
この映画は前から観たいと思っていた映画のひとつだった。
性転換に悩まされる孤独なロックシンガーの物語といえばそれでおしまいだけれども。
その一言ではどうも済まされるものじゃないな、と思う。
簡単にこの映画の説明をすると、
この映画は元々オフ・ブロードウェイで上演されたミュージカルで、それが映画化されたものだ。
主人公は旧東ドイツ生まれの性転換ロック・シンガー、ヘドウィグ。
彼女は、幼い頃に母から聞いたプラトンの「愛の起原」にあるような自分のかたわれ(=愛)を探して全米各地を巡る。
そんな彼女の人生が、彼女自身の魂の歌と共につづられる。
歌が映画の半分以上は占めるミュージカルに違いはないが、
その歌の歌詞から映画のストーリーに深みを増す。
最初はこの主人公ヘドウィグがまるで妖怪か化け物のように感じるのだが、
最終的には、なぜか彼女の事をかわいいだったり、美しいだったり、
愛しいなんて感情で彼女の事を観てしまっていた。
それは多分彼女のことをどうしても完全に見放せないというか、
ある意味、彼女は私そのものな気がした。
誰しもが持つ空虚感や喪失感、そういったものを強く感じながら生きている。
ヘドウィグは、性転換手術で失敗し股間に残ったアングリーインチからわき起こる怒り、
はたして、自分は男なのか、それとも女なのか。
ヘドウィグは生まれた日、ベルリンの壁が築かれた。
またその壁が壊された日、それは彼女の結婚記念日でもあり、その夫に別れを告げられた日でもあった。
彼女にとっての、性や国際、そして、愛、それは何なのか。
自分の片割れがどこかにあるんじゃないか、
それは自分とそっくりの似ている人なのか、
それとも、自分とは全く異なり、私にはないものを補う人なのか、
わからない、それを、片割れ=愛を探し求め続けるヘドウィグ。
だが、彼女に待ち受けるのはこころから愛する人からの裏切り、そして絶望。
いつもそばについてまわるのは空虚や喪失感。
こういう気持ちって私にもある。
いつもどこか、さみしい。
この’’わたし’’というのはいつだってひとりだ。
ひとりって、ほんとうに、’’ひとり’’なんだ。
それが、私を私と呼べるすばらしいこととも思うけれど、
それと同時に、とてつもないほどの孤独や喪失から、求めているもの、それは愛だ。
物語では、結局喪失感があり、補いきれていない、何かが足りないと思っている、
そんな欠落がある私がその人自身なのだ。
ということで、終結するのだが。
つまり、片割れなんていないさ、その愛を求めてやまないあんたがあんた自身で
それ以上で以下でもない、というような感じだと思うんだけど。
なんだか、うーん。
いろいろ思わされた。
けど、すきな映画だな。
Hedwig and the Angry Inch - Origin of Love(愛の起原)
まぁ今度機会があれば、ぜひ。