2022年5月14日(木)
朝ドラ「ちむどんどん」そして私と沖縄
「ちむどんどん」今朝の飼っている豚をつぶして
頂くシーン・・・胸が詰まりました。命を頂く
見事に描かれていました。
これからの期待大です。
私と沖縄・・何度かブログで書いてきたかもしれま
せんが、今一度思い起こしておきたい。
そのすべてはとても語れませんが、朝ドラをみながら
少しでも、残していきたいです。
昭和40年 (1965年)
今思うとびっくり、勇気ありましたねえ。この子を連れていく
予定でパスポートもとりましたが、滞在先に十分な体制が
とれなくて、取りやめました。
留守中、隣の奥様と、合唱団の仲間、夜は夫が世話をしました。
この祭典を成功させるために、日本のうたごえ代表団4名が
先乗りオルグとして1ケ月滞在しました。
木下そんき(作曲家)渡辺・小磯(中央合唱団専従者)私
日本のうたごえ50周年記念誌 分厚い上下
記録です。日本のうたごえの仲間と、それに賛同する著名人
による、21世紀への提言です。(上下で2万円)
この中に冒頭の記事を投稿。
27度線―つまり沖縄はアメリカの占領下にあり、27度線
を隔てて自由に行き来出来ませんでした。
観光目的でしかパスポートも下りないので、向こうでの
活動はすべて偽名でしかできませんでした。
沖縄側から、そして鹿児島与論島から27度線上に集まり
8・15会場大会が開かれました。夫はこの大会のうたごえ
オルグとして 私より1年前に沖縄に滞在しました。
私が滞在した1ケ月は1965年4月―5月 真夏のよう
な沖縄でした。基地の労働者に壁越しに歌唱指導したり
いろんな職場にも出かけて祭典参加のための歌の練習を
しました。又10万人のメーデー大会にも参加して、突然
挨拶をさせられるハプニングもありました。(汗・汗)
沖縄人民党の故瀬永亀次郎さん宅にも伺って一緒に歌を
歌いました。娘さんのちひろさんは今はカメジロウ館の
館長で活躍されています。
空から落ちてきた米軍のトレーラの下敷きでなり、亡く
なったたか子ちゃんの墓前の前で、たか子ちゃんのため
に創作された歌を4人で演奏しました。
ひめゆりの塔はじめ、あちこちに残されたがまにも足を
運びました。
今ロシアが一方的にウクライナで攻撃を続けている。
早く終わってほしい。でもそのあとに待っている表現
しがたい国の再建、・・・でも目をつむってはいけない。
沈黙で居てもいけない。一人一人にできることは何か?
沖縄に出会ったことで、自分の生き方の中に揺るがない
ものを持ち続けて居たい。「ちむどんどん」の中でも
きっと沖縄の心を伝えてくれることでしょう。
やることはいっぱいあるのですが、つぶやかずにおれない
私の病気、今から宿題の数々にも手を付けましょう。