今から数十年前、こんなことが言われてた。「都心近くの東側から千葉に行くのには総て森ビルの土地を通らなければならない。」森ビルは戦後、創始者の森泰吉郎が昭和二十六年からレーヨンへの投資で儲けたこと
に端緒があったというが、終戦直後の日本はレーヨンどころではなかった。
昭和三十年になって漸く当時の日本レーヨンが漸くビニロンなどで収益を上げ始めたのだ。森泰吉郎の逸話の嘘が露呈する。捏造はある種族の得意技である。戦後のどさくさに紛れて何があったかは闇である。
特に、終戦直後、焼け野原で土地の境界も定かで無く土地登記事務などまるで停滞していた時期には土地強奪など遣りたい放題であったろう。
昭和二十八年に十円硬貨が発行され、ピカピカの硬貨に感動したものである。戦後日本に微かに復興の兆しが見え始めたのはこの頃である。
朝鮮戦争が始まったのは昭和二十五年であり、昭和二十八年に停戦に至った。日本は此れにより戦争特需によって、戦後復興へ大きく向かうことが出来た。日本の復興が産業面で本格的に始動し始めたのは昭和三十年になった頃からである。
この頃になると、東京の都心部の土地の値は急上昇し、とても個人投資して儲けた金で買い捲れる価格ではなくなった。
森ビルがレーヨンの投資で儲けたというが、レーヨンで儲けられるようになったのは漸くこの頃からである。
捏造は必ず矛盾が出るものか?はたして、森ビルがバブル時までに抑えていた土地の登記簿の変遷がいかがなものか調べてみたいものである。以上は飽く迄われの私見であるが、如何見ても森泰吉郎の神話とも言える伝承には矛盾が認められる。
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