検察官役の指定弁護士は、現場のカーブを急にする付け替え工事で脱線する危険性が増大しており、調査を命じれば事故を容易に予見できたと指摘。3社長が自動列車停止装置(ATS)整備を指示する義務があったと主張していた。
3社長は、現場カーブの付け替え工事やダイヤ改正などで、事故が起きる危険性が高まり、事故を予見できたにもかかわらず、それぞれの社長時代にATS整備の指示を出すのを怠り、事故を発生させたとして起訴されていた。
3社長は神戸第1検察審査会の「起訴すべき」という議決を受け、22年4月、強制起訴された。検察が同罪で唯一起訴したJR西の山崎正夫元社長(70)は昨年1月、無罪が確定している。(MNS 産経ニュース 2013.9.27 10:09 より)」
此れは、「危険な事態や被害が発生する可能 性があることを事前に認識出来たか如何かと言うことで、重大な結果を予見出来たにも 拘らず、危険を回避する為の対応・配慮を怠った場合、過失を問われることが ある」と言う被告の「予見可能性」の問題である。
「刑罰の目的」には、大きく分けて二論ある。「応酬刑論」と「目的刑論」とである。
社長は電鉄会社の最高指揮官である。無論、鉄道旅客運輸の事故対策については、万全の安全責任を負う立場である。事故に対する社長の「予見可能性」は無しとして、判決は無罪にしたものであるが、では、重篤な自動車運転事故については、加害者が事故の「予見可能性」を意識して事故を起こしたもので無くとも、公共の安全を確保するとの「目的刑論」の立場で、懲役を科される事例は少なく無い。一介の個人なら赦されず、社会的に重大な責任を負う電鉄会社の最高指揮権者の罪を免れさせた裁判官の責任は問われるべきである。
大勢の死傷者を出した大惨事が起きたのであり、喩え、此れが運転手がスピードを出した重大な過失があったとしても、半径300mの曲率の線路上で無ければ、このような大事故は起きてい無いのである。事故は現実に起きたのである。
スピードを出し過ぎた運転手には死人に口無しだが、事故後の調査で「電車の運行の遅れを取り戻そうとした為だ」と言われている。亦、ダイヤ編成にも相当無理があったと言われていた。ならば、最高指揮者である社長の安全管理に対する甘さがあったことは否めまい。
「刑罰の目的」に「目的刑論」がある意味は、抑止効果にある。人の生命身体を預かる公共交通機関の安全意識には、此れで良いと言う限度を設けて行け無のであり、だからこそ自動車運転による事故には「無過失責任」まで科されるのである。
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