多様性や共生が持て囃されているが、意味が態、と曲解されている。多様性は単に色々あるのとは違う。中国の様な地続きの大陸の混合民族・人種国家や米国の様に建国から移民の多民族国家と、日本の様に粗単一民族国家では、同じ国家として存立するも、国の形として全く別物であるのだ。
人間同士は倫理観や道徳観や生活信条が違うと、様々な場面で衝突し、軈て仲互をすることに成る。折角の日本の単一民族性を解釈を枉げられた「多様性」や「共生」の言葉に踊らされて、此の我が国に不要な混乱を招く愚を犯しては成ら無いのである。
日本人同士では多様な意見があろうとも、根には同じ価値観を共有しているので、お互い折り合えるものであり、人間関係を根こそぎ壊す様な火種は熾し難い。
明治維新は開国をし、世界に向かって日本の門戸を開けて、国際社会に身を投じたが、現実は、
「 四方の海皆はらからと思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ 」 (意訳:人は皆家族であるのに、なにゆえ争わねばならないのか) という明治天皇の御製(天皇の詩)で示す通り、日本の軍国主義を東亜の秩序を乱す不穏な覇権主義と喚き立てる不逞が昨今多いのは全く嘆かわしいことである。
抑、日本が亜細亜大陸や四海の嶋々迄遠征したのは、偏に此等の地に先住する人々の窮状を慮って其の救済を図らんとしたもので、東亜の派遣を狙ったもので無いことは、いみじくも、畏れ多くも日本天皇は皇祖皇宗建国の大詔に明らかなように、養成(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)を三鋼(秩序)とする八紘一宇(天下を一つの屋根の下に)の文字によって表される皇謨に基づき、地球上のあらゆる人間はその分に従い、その郷土においてその生を生まれながらに持たせ、それによって恒久的平和の確立を唯一の念願になさったのに他ならない。
「その郷土においてその生を生まれながらに持たせ、」というお言葉は、日本国が目指した本来の「共生」の在り方を的確明瞭に表したものである。詰まりは、同じ価値観を持つ者同士が同じ地域で暮らすのが恒久平和の確率を唯一達成するものとして日本はその達成に向かったのであり、それを叶えてこそ自国の平和も確立出来るとの信念を持っていたのだ。
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