我が考えるに、国内が困窮しているときは、極端な改革はやるべきではない。余りに大きな副作用が出るからだ。世の中の足を引っ張るような我欲はびしびし断罪してよいが、弱った身体を荒療治すれば、死んでしまうのだ。体力を消耗しているときに理不尽な過激な改革を行えば、何も悪いこともせずに必死に働き生きてる人に止めを刺すようなことにもなりかねない。
何も深く考えず気違いじみた改革を売国奴と一族郎党に操られ、傀儡なる儘行ったのが例の朝鮮人鼠であったのだ。
さて、史実に戻る。
我は此史実を、歴史を知らない儘に日本国及日本に故なき反感を持つ次世代を担う南北双方の国の朝鮮族及在日朝鮮族及帰化朝鮮族の若者に主に読んでもらいたいと書き始めた。此書き込みは日本の半島併合勅語の史実までで一応終わらす積りでいる。その後の史実は機会があるごとに書き込みをしていく積りである。我は日本民族派なので如何しても日本に贔屓目に成りがちだが、極力公平な視点を以って書き綴っていく積りである。
日本は単一民族で歴史を刻んできた国で、半島も単一民族としての歴史がある国である。歴史の経緯は別において、朝鮮族には、日本民族と朝鮮民族との其々が自民族の故地に分かれて暮らしていくのが両民族ともに幸せに暮らせる理であるとの考えを是非持って貰いたい。現実、世界の人々は須、其々国家に属して生きている。基本的には人々の救済は各国家単位でなされるべきである。
人権の保障も各々の国家内で為されるべきである。其れも為さずに、自国の国民の人権を保障せよなどと我が国内で工作活動をすることに如何なる義も認められない。
如何か此ことを理解しつつ、史実を読んで貰いたい。
明治三十八年十二月二十日統監府が設けられた。初代統監は伊藤博文であった。統監には農商工部・警務部で組織された。外交関係だけに留まらず、財務をはじめ、内政一般も日本が統治することになった。
例のマッケンジーの書いた文の日本語訳を更に我が英文に直したものである。
「The Korea commander was actualy the government agency of Korea.
Itou was able to carry out also any policy if he desire. He had the authority of being able to delete laws and regulations which had brought the disadvantages to society. In the Meiji era, All of the people that have been appointed as diplomat was Japanese. These people had been placed to the Korea whole country and given actually the authority of the governor.
A Japanese persons as Duty officers and advisers were assigned to each ministries and government offices. The Korea commander had grasped the appointive power of all government officials except the minister. The commander had gotten all real authority in Korean in this way.」
伊藤は三年の在任中、韓参政官に代わった参政大臣朴斉純はじめ各大臣を集め、韓国の施政改善を為そうと百回近くも会議を開いた。伊藤は議長を務め、日本側の意見通り採決が為されるように持って行った。
これ等の内容は治安維持、経済上必要な施設の建設、そして学校制度の確立などであった。直ぐにもこれ等は実行に移された。これらの実行にかかる資金は日本興業銀行から韓国側に貸与されると言う形を採ったが、此の額は当時としては巨額な、何と1,000万円にも上るものであった。現実には、韓国側が返し切れる金額ではなかった。
こうして、日本は巨額を使って韓国の近代化を推し進めたのだ。
治安は極めて悪かったので、此れを正さなければ韓国の近代化などは気泡に帰す。韓国の道は十三観察府が在った。此処に、警務顧問支部を配置し、韓国全土に二十六の分遺所及百二十三の分派所を設け、此れに傭聘した日本の警察官を配置し、統監の支配下に置いた。
更に、起業資金の一部で普通教育の整備を行い、更に師範学校・高等学校などの制度の確立も推進せんとした。韓国は嘗ての「隠者の国」から脱皮して、過酷な身分制度も取り払われ、分盲ばかりだった庶民層も等しく教育が受けられる近代国家へと、無理に日本に脱皮させられるように生ったのだ。
然し、伊藤の奮闘努力も虚しく、親の心子知らずか如何か知らないが、王と王宮内には反抗が燻っており、何と一般国民大衆にも伊藤に対する大きな反撥があったのだ。
伊藤が王に問い詰めた。此経緯を概説する。
「近代化を御進めあらんと約束したにも拘らず、王宮内には、祈祷の巫女や儒子等が出入りして、未だ紊乱の風が蔓延しいるのに、王にはいっこうに改善する様子は全く認められない。そればかりが、先ほど述べた儒子は、官憲に取り押さえられ、取調べの結果、その者懐中に携帯したる書類には我と我等を糾弾する文面が認められた。儒子に此れは王の言かと問い詰めると、儒子はあっさり認めている。薛は陛下のためを慮り是を帝国政府には通告していない。こんなことを放置すれば事は重大事になることは免れぬ。しかも、王宮内と暴徒と通じ、暴徒に資金を与えたことの証拠も我は押さえている。さらに、王宮内と暴徒とは尚も連絡密にして、上
海やウラジオ等に在る韓人とも密使密電が往来していることも良く承知している。よって、殿下の御為を慮って王宮取締りの方法を講ぜんとす。早急に、丸山顧問に言い付けて王門出入りの取締りに掛からせて、宮禁粛清の実を挙げんと決意する。」と伊藤が追い込むと、王は「先ず当方で取締りを万全にすべく努力をするので、その成否を見てより顧問警察に一任すると言うのは如何。」と飽く迄惚けた。
此れに対し伊藤は「陛下のご意向に添うを適わず。我への同意あらんことを請う。」と一蹴した。是には王は従うしかなかった。
更に伊藤が王を牽制して「小細工をして、密計陰謀を為すことは万に一つもあらば、御為にならぬことを心得よ。」と畳み込むと、王は「此処最近は我は政治の上に容喙するが如き事無し。」とはぐらかした。
未だに王の権威は韓国全土を遍く蔽っており、証拠はあるとは言いながら、未だ決定的な証拠も掴めず、伊藤もそれ以上の追及は出来なかったのだ。
続 く
何も深く考えず気違いじみた改革を売国奴と一族郎党に操られ、傀儡なる儘行ったのが例の朝鮮人鼠であったのだ。
さて、史実に戻る。
我は此史実を、歴史を知らない儘に日本国及日本に故なき反感を持つ次世代を担う南北双方の国の朝鮮族及在日朝鮮族及帰化朝鮮族の若者に主に読んでもらいたいと書き始めた。此書き込みは日本の半島併合勅語の史実までで一応終わらす積りでいる。その後の史実は機会があるごとに書き込みをしていく積りである。我は日本民族派なので如何しても日本に贔屓目に成りがちだが、極力公平な視点を以って書き綴っていく積りである。
日本は単一民族で歴史を刻んできた国で、半島も単一民族としての歴史がある国である。歴史の経緯は別において、朝鮮族には、日本民族と朝鮮民族との其々が自民族の故地に分かれて暮らしていくのが両民族ともに幸せに暮らせる理であるとの考えを是非持って貰いたい。現実、世界の人々は須、其々国家に属して生きている。基本的には人々の救済は各国家単位でなされるべきである。
人権の保障も各々の国家内で為されるべきである。其れも為さずに、自国の国民の人権を保障せよなどと我が国内で工作活動をすることに如何なる義も認められない。
如何か此ことを理解しつつ、史実を読んで貰いたい。
明治三十八年十二月二十日統監府が設けられた。初代統監は伊藤博文であった。統監には農商工部・警務部で組織された。外交関係だけに留まらず、財務をはじめ、内政一般も日本が統治することになった。
例のマッケンジーの書いた文の日本語訳を更に我が英文に直したものである。
「The Korea commander was actualy the government agency of Korea.
Itou was able to carry out also any policy if he desire. He had the authority of being able to delete laws and regulations which had brought the disadvantages to society. In the Meiji era, All of the people that have been appointed as diplomat was Japanese. These people had been placed to the Korea whole country and given actually the authority of the governor.
A Japanese persons as Duty officers and advisers were assigned to each ministries and government offices. The Korea commander had grasped the appointive power of all government officials except the minister. The commander had gotten all real authority in Korean in this way.」
伊藤は三年の在任中、韓参政官に代わった参政大臣朴斉純はじめ各大臣を集め、韓国の施政改善を為そうと百回近くも会議を開いた。伊藤は議長を務め、日本側の意見通り採決が為されるように持って行った。
これ等の内容は治安維持、経済上必要な施設の建設、そして学校制度の確立などであった。直ぐにもこれ等は実行に移された。これらの実行にかかる資金は日本興業銀行から韓国側に貸与されると言う形を採ったが、此の額は当時としては巨額な、何と1,000万円にも上るものであった。現実には、韓国側が返し切れる金額ではなかった。
こうして、日本は巨額を使って韓国の近代化を推し進めたのだ。
治安は極めて悪かったので、此れを正さなければ韓国の近代化などは気泡に帰す。韓国の道は十三観察府が在った。此処に、警務顧問支部を配置し、韓国全土に二十六の分遺所及百二十三の分派所を設け、此れに傭聘した日本の警察官を配置し、統監の支配下に置いた。
更に、起業資金の一部で普通教育の整備を行い、更に師範学校・高等学校などの制度の確立も推進せんとした。韓国は嘗ての「隠者の国」から脱皮して、過酷な身分制度も取り払われ、分盲ばかりだった庶民層も等しく教育が受けられる近代国家へと、無理に日本に脱皮させられるように生ったのだ。
然し、伊藤の奮闘努力も虚しく、親の心子知らずか如何か知らないが、王と王宮内には反抗が燻っており、何と一般国民大衆にも伊藤に対する大きな反撥があったのだ。
伊藤が王に問い詰めた。此経緯を概説する。
「近代化を御進めあらんと約束したにも拘らず、王宮内には、祈祷の巫女や儒子等が出入りして、未だ紊乱の風が蔓延しいるのに、王にはいっこうに改善する様子は全く認められない。そればかりが、先ほど述べた儒子は、官憲に取り押さえられ、取調べの結果、その者懐中に携帯したる書類には我と我等を糾弾する文面が認められた。儒子に此れは王の言かと問い詰めると、儒子はあっさり認めている。薛は陛下のためを慮り是を帝国政府には通告していない。こんなことを放置すれば事は重大事になることは免れぬ。しかも、王宮内と暴徒と通じ、暴徒に資金を与えたことの証拠も我は押さえている。さらに、王宮内と暴徒とは尚も連絡密にして、上
海やウラジオ等に在る韓人とも密使密電が往来していることも良く承知している。よって、殿下の御為を慮って王宮取締りの方法を講ぜんとす。早急に、丸山顧問に言い付けて王門出入りの取締りに掛からせて、宮禁粛清の実を挙げんと決意する。」と伊藤が追い込むと、王は「先ず当方で取締りを万全にすべく努力をするので、その成否を見てより顧問警察に一任すると言うのは如何。」と飽く迄惚けた。
此れに対し伊藤は「陛下のご意向に添うを適わず。我への同意あらんことを請う。」と一蹴した。是には王は従うしかなかった。
更に伊藤が王を牽制して「小細工をして、密計陰謀を為すことは万に一つもあらば、御為にならぬことを心得よ。」と畳み込むと、王は「此処最近は我は政治の上に容喙するが如き事無し。」とはぐらかした。
未だに王の権威は韓国全土を遍く蔽っており、証拠はあるとは言いながら、未だ決定的な証拠も掴めず、伊藤もそれ以上の追及は出来なかったのだ。
続 く
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