魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【大東亜戦争は何故起きたか?】②

2015-08-12 13:17:15 | 歴史
此処で、ハリマンと日本との覚書の経緯をも少し詳しく説明を試みよう。

 日本が日露戦争で獲得した中国東北部での戦果は、趙春から大連までの鉄道と此れに付随した炭鉱の利権を獲得したことであった。然し、日本は日露戦争で莫大な戦費を使っていたので、元老や政府は、膨大な経費を要する鉄道の経営には不安があった。そのような時に、戦争の間に外債の補充に協力したアメリカの鉄道王ハリマンが、日本に来ました。

 日本は、その頃平和条約に対して異議の渦にあって、暴動をあちこちで引き起こしていました。ハリマンが満州鉄道の買収を当局と交渉したとき、桂首相は一億円の資金提供と引き換えに次ぎの覚書に同意したのである。
此の覚書の箇条書き
①日本政府が獲得した満州鉄道と其の付属財産の買収
②当該鉄道の復旧整備改築及び延長並びに大連に於ける鉄道終端の完成及び改良
両当事者は、①、②の為の資金を調達する目的で一シンジケートを組織する。其の取得した財産に対して共同且均等の所有権を有するべきとする。

 此処で、最も重要なのは、当時の財界がハリマンの提案に強く賛成していたことである。元老井上馨は三井の顧問で、財界の世話役は渋沢栄一であった。日本の財界は、台湾を漸く併合した朝鮮の経営で手一杯であった。彼等は満州の経営には及び腰だったのだ。日本はこの時既に、官民一体の資本主義国家で在った。今日の日本も、此の姿勢は変わら無い。資本主義国家の政策は、総て財界の協力が無ければ進められ無いのだ。実際、安倍政権は、財界に完全に依存することによって維持することが出来るシステムである。

 此の覚え書きは、小村がポーツマスから帰って来た時に、最終的に決定することに成っていた。然し、ハリマンとは日本の総理大臣が約束してしまった。帝国主義外交の推進者であり、責任者であった小村は横浜港に入る直前で此の約束を聞いて愕然とした。小村は日本の経済力の限界を知っていた。当然、彼はこうした事態をある程度予測していた。彼は既にアメリカで満州鉄道経営に必要な資金調達の手段について必要な処置をして着て居たのだ。小村は東京への車中でハリマン案を打ち砕く思索を巡らしていた。彼は休む暇無く、桂の軽挙を戒めた。小村は元老を説得した後に、覚書の取り消しを彼に承認させた。

 サンフランシスコに上機嫌で上陸したハリマンは、覚書破棄の電報であった。米英は何も利益を生ま無い朝鮮半島に対しては関心が無かったが、満州に対して多大な関心が在った。ハリマンも同じで在った。英米の満州に対する輸出額は、日本の其れと比較にならぬ程大きかった。1939年3月、両国は日本に対して「満州の閉鎖性はロシアが占領していた時より、より一層大きくなった。」との苦情を伝えて来た。日本は帝国主義的な市場分割の争いの只中に、身を置かねばなら無いことに成った。ロシアの侵略から日本を護る為に其の南下を食い止めた日本は、図らずも莫大な戦費の負担から逃れる為に、否応無しに紛争の火種を抱え続けることに成った。
③に続く。

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