魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【大東亜戦争は何故起きたか?】①

2015-08-12 12:55:06 | 歴史
 日本は、太平洋戦争をしたかったですか? 答えは、No.です。


 日本は、1940年9月27日にドイツとイタリアとの軍事同盟に加わりました。此れはアメリカ合衆国を刺激しました、そして、其れが太平洋戦争の原因に成ったと言われます。然し、此れは、日本がアメリカ合衆国との戦いをしたく無かったという証拠です。此れに関しては、日本は、アメリカの国力、そして、軍備が日本をずっと上回るということを知っていました。ドイツとイタリアの間で三国同盟を結んだ日本については、日本が単独でアメリカ合衆国との戦いをすることが出来無いということを証明したのです。

 日本がアメリカ合衆国の同盟国全軍隊に対して宣戦布告したした日は、1941年12月8日でした。アメリカ合衆国は自由な資本主義を結実させた国です、よって、政治は資本家に依存します。資本主義に専念する資本家は、一貫して自身の最大の利益の追求に於いて他の全ての社会的価値を無視し勝ちです。

 譬え其れが自賛でだったとしても、帝国天皇は国民の倫理的体系のシンボルとして尊敬されました。同時に、日本民族の特性として、我々は、道徳的な倫理的体系に関する感性の無い遣り方に反発します。

 第一に、満州人国は、日本が力ずくで軍事力によって国を起こすことを実行したものですか?
答えは、No.です。

 満州は、国家建国以前、此の地域が中国共和国軍に属していた一軍閥の管理下に在って、政治情勢は非常に不安定でした。従って、満州独立の為の運動は、彼方此方で勃発してました。満州の地の人々は、1932年2月に満州に『独立委員会』を設置しました。其のことは、帝国日本軍が此の運動を利用したことを否定するものでは無いが、然し、日本はその土地から富を独占しようとは考えて無かった。

 全権委任大使の小村寿太郎の外交の失敗は、その頃正に満州鉄道の利益について日米の間で摩擦を引き起こしたことです。

 太平洋戦争に関しては、此の摩擦が主要な原因であったと言われます。

 1905年8月29日に、日本とロシア平和条約の締結は、決定されました(密封9月5日に関しては)。

 日本が勝利を得た国で在ったということにも拘らず、この条約が日本の為に屈辱的だったということとして、小村寿太郎は、国民によって、強烈に非難されました。然し、此の批判は、当を得たもので無かった。譬え、日本が勝利を得た国で在ったとしても、当時の軍備と国力の上でロシアの強さが日本を大いに凌いで居ただからです。

 ルーズベルト米大統領の意図を受けることによって10月12日に日本を訪問したアメリカの鉄道王エドワード・ハリマンは、日本の桂太郎首相に会って、満州鉄道の運営について、彼と合意文書を交しました。其れは南満州鉄道の共同の運営についての合意で、上院の井上馨と経済界の澁澤栄一もそれに同意した。然し、日本とロシアとの平和会議から戻って来た小村は激しくこれに抵抗して、此の覚書を破棄しました。

 日米の対立が此のことによって強く成ったという意見も在ります。
「1904の2月8日から1905の9月5日まで」の日露戦争は、日本とロシアの御互いの増加損失を齎した。

日本の主な狙いは、ロシア帝国の南進政策の脅威から防御する為に、日本と朝鮮半島との防御安全保障で在った。他方、ロシアは、満州人と朝鮮半島に借地権と利権を得る為の狙いを定めて居た。戦争国の弁解として、このように敵の力による覇権主義で、奪い取っていなければならない弁解を彼らがするとき、戦争は始まります。日本を含む各々の列強国の間の国際的な状況は、軍備に依存していました。謂わば、各々の列強国は、こんな事情でlife‐and‐死闘いでした。

 然し、当然、日露戦争の時代は、戦闘機とミサイルを未だ持って意ませんでした。更に亦、殆ど戦いが海戦と野戦とのものであったので、地元の人々の惨禍はそれの後の戦争より極少ないものでした。此の戦争で日本を支えたのは、英米と韓国の親日家でした。そして、仏、独、韓国の高宗王はロシアを支援した。

 此の戦争の戦闘を見る為に多くの国から送られる第三国の将校が居ました。彼らが、所謂「監視将校」です。彼等は戦争に加わら無いで、自身の国の将来の戦術に使うだけの為に、戦争を共にしました。

 我々が簡潔に日露戦争を言うならば、日本はロシアの南進政策の侵入を妨げて、日本と朝鮮半島を護り、維持する為に起こしたものだと言えます。ロシアは当時、バルカン半島を南進することを目指してました、然し、此れはドイツ帝国のビスマルクによって一蹴された。ロシアは方針を完全に転換して、中国の北東部に南進することに集中しました。ロシアの狙いは、満州人と遼東の覇権でした。同盟関係に在った日本と英国は、これを阻止する為に、確りと結び付きました。もし、ロシアに味方して戦争に参加する国があるならば、此の日英同盟は英国が戦争に加わるという約束でした。此れによって、日清戦争によって厳しい経験を受けた大清国は、ロシアの側について戦争に参加することを諦めました。

 此処で説明しなければならないことは、セオドア・ルーズベルトと日本の関係であるが、然し、次回以降、詳細に其れを説明します。

 続く


最新の画像もっと見る

コメントを投稿