冷戦時代の資本家は社会主義勢力からの危機感から資本主義を護る為、国民を資本主義護持運動に巻き込む以外無かったが、ベルリンの壁崩壊後、冷戦構造下の経済の仕組みを最早や護持する必要が無く、資本家は、国家の保護機能を必要とし無く成って、企業は多国籍化を推進した。
移民難民受け容れ推進派の論調は全て国家の存在価値の意義を無視する偏向を基礎に置くものである。
国家は何の為に誰の為にあるか?
国家は「其の構成員、詰まり国民の福利向上と外敵から国民の生命財産を護ることを使命として存在する。」と言い切れよう。
屡く、「労働力不足が外国人の受け容れを仕方無しとする。」論調も多いが、実際は企業の賃金抑制が目的である。 人手不足は飽く迄言い訳で、基本的に外国人受け容れに反対として居る政府は、現実は企業の要請で国民を誤魔化し乍、既に多くの他国民を入れて居る。
「国籍も国境」も最早関係無くするグローバリズムは比較的富裕な国で働きたい外国人には好都合な味方と成るが、譬えば、日本民族にとっては社会や人間関係をより複雑にし、凶悪犯罪も多く成っている。 更に、縁も縁も無い人々と社会保障費も分け合うことに成り、税やしぉ会保証費の負担も多く成り、国家や地方の財政難も大きくし兼ねない。
まるで善いトコ無しだが、何よりも、日本の歴史的伝統や文化も壊されて、軈て日本民族が持つ勤勉さや真面目さや他人を思い遣る心の優しさも失われて仕舞うだろう。
全く悪いトコだらけである。
「外国人の受け入れを是とする様な輩」は、人権主義者を気取るが、人権主義と同胞の損害との折り合いを一言も言及無しである。人に大迷惑を掛ける主張をする人権主義者は偽者である。
一体、彼等は何者であろうか?
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