魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

日本の行く末 その1

2012-01-24 19:37:14 | 日本国のあり方

日本の行く末 その1

政治の現実の政策決定は、将来のことを、見据えてのもでなければならない。その将来とは、極端に言えば明日のこと、又は、5年或いは、数十年、長い場合は100年単位を見据えたものである筈である。

 このように政治は将来の予測が付くものでなければならず、その予測の把握も相当の確度を持つものでなければ、政治は無用のものとなり、それを行う政治屋も又、無用である。

 今の日本の状態は、こんなものである。薄馬鹿政治屋供は売国奴の集まりの経済人に踊らされ、いやさ、出鱈目を言うテメイの名を売らんが為の似非経済学者の口車に乗って踊る財界の犬となり、「比較優位」の何とやらの子供騙しの経済論に肩入れして、日本の行く末を闇に葬る先を見得なくするグローバル化で国民を陥し込む。

財界が、何故似非経済学者に騙されているか? 騙されているのではない。騙されている振りしているだけなのだ。

 今の日本は、国土への資本投下は粗完了し、その分経済が落ち込んだのは当然のことである。公共財への投資は、景気は良くするが、実は之は後に大きく無駄を残す。それが今の財政難の一端となっているのだ。

 ところで、このように公共財の資本投下が粗完了した日本国は、それらの維持費は別として、資産をつんだ国家である。中国などの後進開発国は、景気が良いとは言え次々と膨大な資本投下の金が掛かる。一事の景気後退であたふたするのはみっともない。

 さて話を戻すと、上のように経済の縮小に伴って、自ずと日本経済での財の供給は満杯状況に陥って、国内経済に伸張が見込めない中、今まで謳歌して来た企業の縮小が為されるべきであったものを、我も掴み切れて居ない国内雇用を吸収出来る新たなる業種が未だ出来ず仕舞が仇となり、あまった企業の行き場を振興開発国の未開発の市場へと、安易に参入するお粗末を演じ続けているのである。その結果、国内の経済を勢い付けて落ち込ます身勝手さが露呈されているのである。 

ところで、国内に望まれる経済浮揚、雇用獲得、給料引き上げ効果の出る新職種とは、一体何であろうか?
 老人介護か?之は税金での経済余剰の現象が、経済効果を全く打ち消すので言うに足りないものである。 

 結論を言えば、“そんなものはありゃしない”と我は断言したい。???

我が語句を誤変換するのと同じく当然なことなのである。

  かくて、日本は日本に居棲む魑魅魍魎如きに、このまま好き勝手に沈没させられ続けられてしまうのか?

 そんなことは、死んでもさせてはならぬ。

 社会主義的計画経済は見事に破綻したことは、衆人認めたことなのだが、だからと言って今現在のグローバル経済の破綻も誰もが既に感付き始めたところである。

 社会主義的計画経済の綻びは、言わずと知れた道理を無視する“無分別な公平主義”である。

 人間は生れ乍らに様々能力に差があるものである。更に、人間の本性として競争心があることは拭えない。之を無視したシステムは自ずと時の経過と共に破綻する。

此処で、一言。グローバル経済を是とする考え方は、国際間で障壁なく経済に障壁なくせば、経済的財の無駄を無くせる徒というものだ。バッカじゃ無いかマンボだ。

 それじゃまるで、国家の存在を無視する無政府主義者の主張じゃないか!現実の国際環境は国家同士の凌ぎを梳る競争原理が働いている。今人類は地球政府に属している訳では無い。

 シンガポール経済が目覚しいのは、その地理的位置の有利さと、その有利さを最大限利用出来る独自のシステムと条件が揃っているからだ。

 地球上には大きく分けて幾つかの経済圏がある。欧州、北米、南米、等毛唐が中心となるものと、中東を中心としたアラブ経済圏、アフリカはどちらに属するか知らんが、インドを含む巨大な人口を抱える亜細亜経済圏がある。亜細亜経済圏も大きく二つに分かれる。東亜細亜経済圏と東南アジア経済圏である。これ等二つの何れの経済圏も堅調である。21世紀は亜細亜経済圏の時代とも言われている。東南の亜細亜の二つの経済圏の要の位置にシンガポールがあるのだ。シンガポールはこの地の利を最大限利用出来る環境にある。

 シンガポールは国土も狭く、人口も日本の五大都市の下位並みしかない小国である。踏ん張っていないと周辺諸国に飲み込まれてしまう小さな都市国家である。人種民族も雑多であり、そうしたことが重なって固い結束で団結せざるを得ない。実際、一党独裁が永年続いている。

 もしかしたら、国家の存立維持は人口的にはシンガポールが理想のものであるのだろう。つまり、政府が国民を制御しやすい人口規模は、4,5百万人が理想と思われる。日本が、政策が纏まり難いのは、人口が多すぎることも最大の要因の一つと考えられよう。

 シンガポールのように小さい国土で6,489/km2高い人口密度の国が生き残れる産業は第一次産業ではとても無理である。

 幸いにも、シンガポールの周辺国には食料が豊富にあるが、シンガポールの面積は埋め立てを繰り返し、今や日本の対馬ほどの面積に近づいたが、それでも、都市国家シンガポールが食料を自前で総て確保出来るものではない。必然、地の利を生かした貿易立国として躍進せざるを得なかった。しかも、第2次産業の土地確保は、農地と較べれば、全く矮小で済ますことが出来るのだ。

翻ってシンガポールの例を参考に、日本と比較し日本の行く末を如何すべきかを考えて貰いたい。


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