魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【泥沼に嵌らざるを得なかった稀勢の里~大関で終わりたかったのでは】

2018-11-14 02:28:56 | 自分の意見

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 稀勢の里が横綱に推挙された時、ふと思ったが此の力士の取り組みを観て、本人は「大関で終わった方が良い」と思った居ると感じた。稀勢の里は大関の時、腰高の取り組みを何度も指摘されて居た。更に、下位の力士との取り組みに取り零しが多かった。所詮、横綱を張れる器で無かった。横綱を張るには、下位との取り零しが無い安定感が絶対条件と成る。不運の怪我とは言え、再起不能と言われ幕下迄落ちて這い上がって大横綱に成った例もある。言い訳には出来無い。
 取り零しの要因は、先ず腰高と差し手が下手で、技のパラェティさも無いと弱点が三拍子揃って居る。更に、神経が意外に繊細である。此れだけ揃っては横綱を張れるだけの力は無いのだ。其れを自分が一番良く知っていると思う。然し、横綱を推挙されて、相撲界は断ることが出来無い社会である。
 責めて、腰高を直せば弱い横綱乍何とか続くと思う処も在ったが、全く努力の跡が見え無い。強い横綱は筋トレ等より相撲の基本である稽古を懸命に繰り返す。白鳳は其れに依って腰を安定させてるから技も出るのだ。千代の富士が筋トレで再起したのは、怪我し易い部位を補強する為で、彼も四股や摺り足等相撲の基本の稽古は欠かさ無かったろう。足腰が強ければ、踏ん張れて押しにも強く、倒れ難いのは日常でも同じである。如何も、稀勢の里は何度言われても、其の基本の稽古を充分遣って居無い様に見える。

 本日、休場して暫く後に引退を表明すべきである。


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