「個人主義〔individualism〕」とは、各々個人の人格を至上のものとして個人の良心と自由に依る思想・行為を重視し、其処に義務と責任の発現を考える立場を言うが、 其の人の属している組織全体・社会全体のことを顧慮せずに、個人の考えや利益を貫く自分勝手な態度とも意味されることも在るが、後半の解釈は「自分の利益を最優先にし、他人や社会全般の利害等を考え様とし無い身勝手な考え方に基づく態度」のことである「利己主義[egoism]」と粗同じ意味である。
「社会」と言う意味を纏めると、生活空間を共有したり、相互に結びついたり、影響を与えあったりしている人々の纏りであり、叉、其の人々の相互の関係をいうが、広義には同種の生物の個体間の相互関係や、其れ等の纏りとも意味し、同種の生物の個体間の相互関係や、其れ等の纏りであり、孰れにしても、同じ傾向・性質、或いは目的を持つ人々の纏りでなければならず、自立して生活して行く場としての世の中のことであるとは社会が持つ一面の意味でしか無く、 人々が互いに関わり在って生活して居る場の意味を持つ「世間」のことと粗同義である。
「国民」とは、国家を造り上げて居る人或いは全体の人々のことであり、其の国の国籍を持つ人々のことを言う。国家の統治の主体として国政に参加する地位にある「公民」と呼ばれることもある。
社会一般に広く認められて居る「考え方」として、法律と違って明文化はされて無いものの人間社会の様々な事象を判定する「暗黙の了解事項」として使われる。
人間社会には個人や集団、或いは個人と集団の間に、多くの様々な軋轢が生じるが、社会には前述の様に「社会は同じ傾向・性質、或いは目的を持つ人々の纏り」でなければならず、「罪無き人を殺す」殺人等「絶対悪」は別としても「社会通念」も同一に出来無ければ、最早人間社会は成り立た無い。
社会の成員が在る社会に属する人々が持つ「社会通念」を否定する人や集団は、社会に軋轢を起こす。依って、我々人類総て何れかの国家に属して居るのであり、日本国民は此処で創った「社会通念」に従わなければ成らないのは、「社会通念」は、永い歴史の中で我々日本人に醸成されて、「物事の是非の判断」等の不文律の約束事とされて居るからである。異民族との共生を強要されることに無意識に強く違和感や危機感を感じるのは当然なのである。
「人類みな兄弟」しいうフレーズは元々「平和を願う」ことから発せられた言葉であり、「共生」とは結び付くもので無い。
今の日本は、日本人社会を壊す様に方向付けられており、日本国民は此の理不尽な強要に一致団結して反対し、強要する輩を日本社会から完全に排除すべきであるのだ。
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