魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【派手なスローガンやワンフレーズ中身の無いperformanceを得票目当てに掲げる奴は国を壊すが、非差別・共生・多様性の瞞着主義から保守主義政治への転換は正当で当然の揺り戻し~其の①】

2018-10-29 21:36:21 | 先ずは安定社会が一番

 安定した社会では、急進的な変化を望ま無い。良い例が、明治維新である。徳川慶喜は実は開国派であった。尊王攘夷で散々多くの人を犠牲にした奴等は、開国処か近代化と富国強兵を言い訳にして、維新を自己の栄達に利用し、結局、民を極貧の地獄に落としたのは、奇しくも、今を去ること34年前NHKのテレビドラマとして大ヒットし、世界の多くの国でも放映された「おしん」を見返せば分かることである。此の物語は、
 「『おしん』誕生の切っ掛けは、『ある明治生まれの女性が、人に言えない過去を病床で綴ったものでした。子守り奉公したり、“女郎屋”に売られたりね』という、1979年に原作者の橋田壽賀子へ寄せられた1通の手紙であった。静岡県榛原郡川根本町出身の丸山静江の半生を、次女の千鶴子が代筆し、橋田壽賀子が『主婦と生活』誌で連載していた『母たちの遺産』に送った事が発端である。その後のドラマ化にあたり、橋田壽賀子やNHK番組関係者から取材を受け、脚本作りに協力した。ドラマでは、丁稚に出る幼いおしんが、最上川で下るシーンが名場面として知られているが、丸山静江も榛原郡金谷丁稚に出る為、大井川を筏で下って行ったと言う[5]。 」

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おしん - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/おしん

 徳川慶喜は実は幕藩体制の儘で日本の近代化を進め様としていた。其れが証拠に、

 徳川幕府の

小栗上野介

www.geocities.jp/pikapikavan/oguri.htm

小栗上野介の像(東善寺) 幕末の1860年、77人の日本人が世界一周した事実をあなたは知っているだろうか。 子供の頃、学校で「咸臨丸に乗って勝海舟ら日本人が初めて太平洋を自力で渡った・・・」と学び、「すごい」と思った ...

ということである。如何に、明治維新の遣った奴等が卑しく裏切り者で己の栄達だけを目指した屑か分かるのだ。

 折しも、NHKは保守主義への回帰を「分断」として「保守主義者」を断罪する番組を造って居たが、此奴等は「分断」と言う言葉の意味も使い方も知ら無い卑日本民族なのだろう。「分断」とは、元々一つのものを区別して分けることである。さすれば日本は他民族が一つに纏って存続して来た国か?

 出鱈目言うのも好い加減にした方が良い。

 

続 く


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