愛と自由に満ちた幸福な生活は公平であるべし、人権・平等・平和が生きる人の権利

原理  自由・愛・公平
原則 人権・平等・平和
私が在る限り貴方は有り
貴方が在る限り私は有る

偉人4 名言 釈迦 人間ブッダ Ⅰ

2014年04月26日 | 偉人4 釈迦

はじめに たのしいかな・・・で 天上天下唯我独尊を独解しました。
  貴方が今いるのが天の国です。大宇宙の中の地上 生きとし生け
 るもの 総てのいのちは尊い あなたもわたしも尊い存在です。

天上、天下に我こそが尊い 個人の超エゴであっても、普遍化すれば
総てが尊い に変化します。 
 
 仏教を専門に学んでいません。webで調べると釈迦は文を書き残して
はいません。天上天下唯我独尊でさえ、釈迦の言葉では有りません。
悟りを得たのは35才以降ですから不可能です。総ての膨大な経典は
釈迦の没後200年以降に文章化され、般若経、維摩経は紀元1世紀に
編纂されました。釈迦の生存中は説教を筆記する事を禁止しました。
 ”サイのように歩め”出家した後は独立独歩、自らの頭で考えよ。
仏陀とは悟った人、仏の悟りに目覚めた人とのこと。となると、釈迦
=仏陀はシンボライズされています。偶像崇拝も後世の創作です。
 悟りが「人生の煩悩、迷いを去って生死を超えた永遠の真理を会得
する」とするならば、後世の人の言説も仏陀の言葉です。言葉は場所、
時代によって変化します。厳密には言葉の意味は発した人しか理解で
きません。現代人は当時よりも遙かに進んだ科学知識、文明がありま
す。当時は男女同権やDNA、大脳生理という言葉すら有りませんでした。

 釈迦は何を言ったか? 何が伝承され、何が偉人としての言葉なの
か? 現代にも通じる言葉は何か? そこに意味があると感じます。
 或いは何が人々の心を引きつけ、その論理を発展させたのか?

 紀元前7~5世紀 インド北東部、ガンジス川の北、ネパール近
くの小国の王子として生まれ、過保護で育てられた。当時、祭祀とカ
ースト制度のバラモン教には聖典ヴェーダがあり、ヴェーダ詠唱がユ
ネスコの無形文化遺産に登録されています。又、様々な思想家によっ
て業、輪廻、宿命、解脱などの哲学思想があり、学んだようです。
 少年釈迦は鳥が虫をついばむのを見て 哀れ生き物は殺し合う と
世の惨さ、はかなさ、無情に心を痛め、生命の残酷性を知りました。
この認識を一歩進めると同じ人間でも社会的に差別される身分制度や
奴隷制度があります。そして自ら王子としての恵まれた生活と貧しい
生活を送る人との差に疑問が生じます。又、釈迦は3人の妃がいまし
た。宮殿生活でも様々な人間関係での軋轢に悩んだでしょう。
 釈迦の時代、バラモン教が支配する社会から離れ、世俗の人間関係
を絶ち、解脱の道を求めて修行する出家者がいました。釈迦も同じよ
うに一日一食の乞食の出家修行をしました。人間離れした苦行が仙人
となり、仏陀神通力を得ると信じられていましたが、釈迦は瀕死の状
態まで苦行しましたが、得るものはないと自覚しました。牛乳のかゆ
のなんと美味しく、生きている事の喜びを実感したでしょう。その後、
釈迦は菩提樹の下で、考えました。
 世界は総て波のように変化する物である。生き物、人間もまた変化
し、生死病老、世俗は思うようにならない。無我と非我、自我は自分
に固執するからストレスが溜まるのであって、総てを認めることは総
てを許すこと、結果的に自己も認めることになります。又、バラモン
教の輪廻転生や霊魂を論争しませんでした。検証できない事を論じて
も争うだけで意味が無いとしました。

 調べるほどに釈迦は宗教家では無く、思想家、出家者の実体が明ら
かになります。人は死に恐怖し暴力に脅える、殺生、生物は他を殺し
続けて生きる。他を殺さなくては生きられない生命の現実、世俗を絶
った出家者の戒には植物の栽培の禁止もあったようです。殺生は在家
に依存し、命をつなぐ食事の施しを受ける土壌があったのでしょう。
 慈愛、悲(抜苦)、喜、捨(平静)心の4つの無量心を育むことが
説かれている。それは人生は一切を皆苦とし、四諦八正道に務め、精
神の安静を中庸で保つ修行者であり、因果、縁起、此があれば彼があ
り、此がなければ彼がない、此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼
が滅す。
 飛躍すれば、検証不可能なこと、輪廻が在ると感ずれば輪廻が有り、
輪廻はないと実感すれば輪廻は無い、ならば、釈迦には輪廻は無いと
 これの説明が案外むつかしい。
 
 釈迦の死後、数世紀をかけてブッダとして、偶像化され信仰の対象
とした宗教に変質する。釈迦の死を弔う祭儀は伝承されていない。私
を崇拝するな、偶像は作るな。釈迦の誤算であった。出家者の人数が
増えれば増えるほど、食事の調達に苦労する。乞食は調理された物か
ら、未調理になり、金品に変化する。木の下の修行場は道場になる。
集団を頂く人が偉ければ偉いほど、乞食に都合が良い、難しい議論を
在家にするよりも、解りやすい方便を使った方が話しが早い。来世や
極楽、地獄の方が手っ取り早い。経典や像の形ある物の方が感覚的に
理解できる。修行、学究する個人と組織は別の物である、今日のよう
に教育、研究する学校が無い時代の錯誤。
 
 天上天下唯我独尊は宗派や個人で様々に理解されています。大別す
ると3つになります。
 釈迦を偶像化し、讃える為に、この世界おいて我は唯一無二の存在
である。天にも地にもただ我一人尊い
 仏教の教えを讃えるために、人間として生まれ、佛となる身を尊び
なさい。天上天下、われわれ人間にしか果たせない目的がある。
 生命の尊厳、平等の原理として、あなたほど大切な人は、この世に
ない。私という存在はこの世に一つ、命を大切に。すべての生命は天
上天下唯我独尊である。
 どう解釈するかは、解釈する人の思想信条の自由ですが、釈迦の言
葉としては生命の尊厳、平等の原理として解するのが妥当です。縁起
の 此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す からすれば
 貴方が今いる場所が総てです。大宇宙の中の地上 生きとし生ける
もの 総てのいのちは尊い あなたもわたしも尊い存在です。

 無我非我を説いた釈迦にとって、死後の魂の存在は論ずることすら
無意味です。人の言う、確かで無い死んだ後のこと、もしあったら?
 第一に無いとして、貴方の今の人生をすばらしいものにしなさい。
第二、現世、次世代のために貴方ができることを考え行動しなさい。
第三、来世があったとしても、貴方を愛した親、総ての先人が来世を
ちゃんと良くしています。
 4つの無量心を育てなさい。そして他人を愛することを学びなさい
私がある限り貴方はあり、貴方がある限り私はある 涅槃の境地
 

 わたしは どこから 来て どこへ ゆくのか
 ひとり 生まれ ひとり 生き
 ひとり 考え ひとり、を思う
 始まりは いつかの昔
 終わりは いつかの明日
 そして いま、ここ、に わたしは、いる
 それが たしかな、わたし   
良寛 田中和雄訳


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