文部科学省の作成になる(私たちの道徳)小学生用3冊,
中学生用1冊が新しく発刊される。4年後には道徳の時間から
道徳の教科、検定教科書の使用に変更する計画。教科となれば
評価をする必要があり、どう評価するのであろうか?
人間性?協調性?積極性? 規範行動の評価?
道徳教育用教材に目を通しました、合わせて旧の「心のノート」も
内容は心のノートの拡大版、昔の人のエッセイ、詩、コラムが多く
なって圧倒的に読む分量が増えています。
読み終えて何点かの疑問が有ります。
・道徳教育は生命を大切にする心、他人を思いやる心、善悪の判断
などの規範意識を身に付けることと並列的に記載していること。
心の感性を豊かにする事と心を律し自制する事の2種類がある。
外に向かう心だけでなく、自らの心を自制し内省する心を養う必要性
を理解?いじめは何故起こる。そして、不登校や将来のニート問題の
問題は単にガンバレだけでは解消しない。中学生は自我の目覚めとと
もに、自信と不安、優越感と劣等感、の中で自己を確立しつつ大人に
なっていく。劣等感をどう克服するか?不安の解消は?方向性を見い
ださせない道徳、心の発達、成長を促さずに、生命大切にする心、他人
を思いやる心は規範がメインではない。心の発達を促すことが主眼
であって、規範意識を身に付けることに集約する道徳は欠陥品である。
たくましく やさしさありて たのもしい が期待される人間像
あなたは あなたで あればいい という愛情 あればなおいい
・日本の伝統に息づく礼儀は自分を律する心や、相手を尊敬し、
感謝する心を大切にし、それを礼儀の形で表している。
なんと一面的に美化しているのか?いわゆる、体育会系での不祥事
金メダリストの柔道家の強姦、全柔連の現職理事のセクハラ、女子柔道
監督による暴力、パワハラ、セクハラの不祥事、桜宮高校での自殺事件
が未だに発生していることに何ら考慮していない。
戦前、旧制中学、大学の体育クラブでは一年先輩は神であった。戦後、
新制高校、大学でも同様の慣習が残存した。私自身は中1のとき、その
匂いをかぎ取って1日で退部。戦後20年過ぎた高校の剣道部の級友は、
卒業40年以上経った今でも、後輩は本人が社会的に成功していても当
時と変わらない。と
過去の人間関係では支配と被支配、服従を形にした礼儀があった。殿
様への拝謁は、服従の一方的な礼儀である。個人の尊厳を互いに尊重す
る礼儀、マナーは日本の伝統の礼儀と対立する部分があることは無視?
子供達に向けた 「ファイト!」 中島みゆき 唄 ベベ
BEBE ひこうき雲 他も
・異性を理解して尊重して 中学版
という項目が新たに増えています。しかし、内容は男女共同参画社会、
社会は男女互いの力で成り立っているがメインテーマ。異性としての男女
関係は(心のノート)からかなり後退している。
新 私たちの道徳
好きな異性がいるのは自然なこと
中学生で、好きな異性や意識してしまう異性がいるのは不思議ではない。
むしろそれは自然な気持ちで、大切にしなければならない気持ちだ。
この気持ちを明日のエネルギーにできたらいいと思う。
だけど、二人だけの殻に籠ってしまうと、周りが見えなくなって、
人間としての幅を狭めてしまうこともあるかもしれない。
考えてみよう、男女交際の在り方を。
50年前と変わらないですね
一方、心のノート中学版
思いやる心を
ひとりぼっちじゃないと おしえてくれたのは
あなたの瞳の中の わたしだった
思いを伝え合い 認め合い
互いを支え合う そんな人と人との
かかわりの中に あたたかさがある
君がいるかぎり
もしも ここに 君がいなかったら
毎日がこんなに 楽しくはなかっただろう
もしも ここに 君がいなかったら
明日という日の輝きは 半分になっただろう
二度と戻っては来ない この季節に
たくさんのプレゼントを携えて
ぼくの前にあらわれた君
競い合い 励まし合った 部活動
ぶつかって 気まずくなった 文化祭
すべての日々は 君がくれた ぼくへの贈り物
君との関係は
晴れたり 曇ったり ときどき湿ったり
同じように抱えている
悩みや不安 葛藤があるから
わかり会えるだけ 反発もするけれど
大人になってゆく この大切な季節に
出会えた意味が きっとあるから
ぼくも君に プレゼントを贈ろう
君の毎日が もっと楽しくなるように
君の明日が もっと輝くように
いま こうして ぼくたちが共有できる
かけがえのない瞬間を大切にして
欧米では同性婚もありの世、男女とは特定しない所が好感が持てます。
しかし、新しい道徳の生きる力、知徳体を養う点での後退はひどすぎる。
ことなかれ主義か?戦前への復古主義か?
・引用した文章の作者が不明の文章が多い、参照することが出来ない。
とりあえず ここら辺りで
中学生用1冊が新しく発刊される。4年後には道徳の時間から
道徳の教科、検定教科書の使用に変更する計画。教科となれば
評価をする必要があり、どう評価するのであろうか?
人間性?協調性?積極性? 規範行動の評価?
道徳教育用教材に目を通しました、合わせて旧の「心のノート」も
内容は心のノートの拡大版、昔の人のエッセイ、詩、コラムが多く
なって圧倒的に読む分量が増えています。
読み終えて何点かの疑問が有ります。
・道徳教育は生命を大切にする心、他人を思いやる心、善悪の判断
などの規範意識を身に付けることと並列的に記載していること。
心の感性を豊かにする事と心を律し自制する事の2種類がある。
外に向かう心だけでなく、自らの心を自制し内省する心を養う必要性
を理解?いじめは何故起こる。そして、不登校や将来のニート問題の
問題は単にガンバレだけでは解消しない。中学生は自我の目覚めとと
もに、自信と不安、優越感と劣等感、の中で自己を確立しつつ大人に
なっていく。劣等感をどう克服するか?不安の解消は?方向性を見い
ださせない道徳、心の発達、成長を促さずに、生命大切にする心、他人
を思いやる心は規範がメインではない。心の発達を促すことが主眼
であって、規範意識を身に付けることに集約する道徳は欠陥品である。
たくましく やさしさありて たのもしい が期待される人間像
あなたは あなたで あればいい という愛情 あればなおいい
・日本の伝統に息づく礼儀は自分を律する心や、相手を尊敬し、
感謝する心を大切にし、それを礼儀の形で表している。
なんと一面的に美化しているのか?いわゆる、体育会系での不祥事
金メダリストの柔道家の強姦、全柔連の現職理事のセクハラ、女子柔道
監督による暴力、パワハラ、セクハラの不祥事、桜宮高校での自殺事件
が未だに発生していることに何ら考慮していない。
戦前、旧制中学、大学の体育クラブでは一年先輩は神であった。戦後、
新制高校、大学でも同様の慣習が残存した。私自身は中1のとき、その
匂いをかぎ取って1日で退部。戦後20年過ぎた高校の剣道部の級友は、
卒業40年以上経った今でも、後輩は本人が社会的に成功していても当
時と変わらない。と
過去の人間関係では支配と被支配、服従を形にした礼儀があった。殿
様への拝謁は、服従の一方的な礼儀である。個人の尊厳を互いに尊重す
る礼儀、マナーは日本の伝統の礼儀と対立する部分があることは無視?
子供達に向けた 「ファイト!」 中島みゆき 唄 ベベ
BEBE ひこうき雲 他も
・異性を理解して尊重して 中学版
という項目が新たに増えています。しかし、内容は男女共同参画社会、
社会は男女互いの力で成り立っているがメインテーマ。異性としての男女
関係は(心のノート)からかなり後退している。
新 私たちの道徳
好きな異性がいるのは自然なこと
中学生で、好きな異性や意識してしまう異性がいるのは不思議ではない。
むしろそれは自然な気持ちで、大切にしなければならない気持ちだ。
この気持ちを明日のエネルギーにできたらいいと思う。
だけど、二人だけの殻に籠ってしまうと、周りが見えなくなって、
人間としての幅を狭めてしまうこともあるかもしれない。
考えてみよう、男女交際の在り方を。
50年前と変わらないですね
一方、心のノート中学版
思いやる心を
ひとりぼっちじゃないと おしえてくれたのは
あなたの瞳の中の わたしだった
思いを伝え合い 認め合い
互いを支え合う そんな人と人との
かかわりの中に あたたかさがある
君がいるかぎり
もしも ここに 君がいなかったら
毎日がこんなに 楽しくはなかっただろう
もしも ここに 君がいなかったら
明日という日の輝きは 半分になっただろう
二度と戻っては来ない この季節に
たくさんのプレゼントを携えて
ぼくの前にあらわれた君
競い合い 励まし合った 部活動
ぶつかって 気まずくなった 文化祭
すべての日々は 君がくれた ぼくへの贈り物
君との関係は
晴れたり 曇ったり ときどき湿ったり
同じように抱えている
悩みや不安 葛藤があるから
わかり会えるだけ 反発もするけれど
大人になってゆく この大切な季節に
出会えた意味が きっとあるから
ぼくも君に プレゼントを贈ろう
君の毎日が もっと楽しくなるように
君の明日が もっと輝くように
いま こうして ぼくたちが共有できる
かけがえのない瞬間を大切にして
欧米では同性婚もありの世、男女とは特定しない所が好感が持てます。
しかし、新しい道徳の生きる力、知徳体を養う点での後退はひどすぎる。
ことなかれ主義か?戦前への復古主義か?
・引用した文章の作者が不明の文章が多い、参照することが出来ない。
とりあえず ここら辺りで
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