先日、福井県に旅行に行ってきた。
「ひとり」ではない。
#1っしー氏、#73し氏、#31木氏、#23ーこ女史、#Saya女史の計6名。
本当は8人以上を予定していたのでしたが
私自身に人望をいうものが、まったく備わってないのか(希望も。)
集まらなかったり、心ないドタ(バタ)キャン(セル)があったので、結局前述したように6名。
何故『福井』か…。
なぜなら、そこに宿が半額になる券があったからです。そう、それだけ。
宿ありきの旅というのは、しかし、あとになってみると困るものでして…
いざ、なにが福井で出来るのか?
ある一人から、石川は金沢まで行く案件が、総責任者の私まで持ち上がってきましたが
拒否しました、嫌!と。
そこに、死ぬほど観たい!っていうモノがあって、それを伝えようとしてなかったからです。
それを考えると、福井の【永平寺】と【東尋坊】は、特に前者の方は
私としましては、死ぬほど訪れたかった処でして
結果としても、他の5人はどう思ったのか知りませんが、良かったです。
これから永平寺に行くって時に、他のモノがグズリ始め、ホテルに行いきたいと言い出したのです。
「どうしようか?」と、私も一人の人間ですし、情は2,3あるつもりですので
しかも、結構、やさしい人間なので
このまま私のエゴで永平寺に向かうのは、悪いという気持ちもありました。
そして「明日自分一人でも訪れようか」とまで思いつめたのですが
ホテルの場所等福井の地理的情報、ホテル優待券等重要財を私が全て握っていたので
「いい処だから!」と説得し(つつ、「いい処であってくれ!」と願いつつ)
まだ20㌔先だけど「もうすぐそこだから!」と騙しつつ
結局、強行に、永平寺に連れて行きました。
そういう点では、幹事という総責任者に任じられるというのは
いい事だらけなのです、やりたい放題で♪
でもそれに胡坐をかいているだけじゃ、それは愚君に過ぎず
伴者の心をいかに、いぃかぁに、気持ち良くさせるかが、賢君の使命だと思います。
永平寺に着いた頃、雨の降り様は cats and dogs で、日本語で「どしゃ」でした。
そこで、他の5人を雨に打たれさせてまで、見たくもないものを無理やりに見せて
これはいいものなのか?と考え、苦悩の末…
「帰ろうか…」と提案しました。
「ありえない」と言われました。
山奥に潜む社殿までの長い道のりが、彼らを、それでも観る気にさせていたらしく
「観たいのに、帰るなんて!」という意らしいです。私のgoing強引さが功を奏しました。
雨の下の、永平寺でした。
他の寺社をは違うのは、観光客を尻目に、修行をガンガンに行っているところです。
例えば、今年行った修善寺もそうですが、寺の僧が修行している様は殆ど目にしないので
寺が何を守ろうと、保とうと、見つけようと、何を求めようとしているのか
全く分からないのですが
永平寺というのは、建物こそ、勿論の現代技術による改修で、あたりまえに
道元の頃のものではないのせよ
そこから続けて悟ろうとしているもの、求めているものは
それがなんなのかは、私は知りませんけども、変わらないのだろうな、とは思いました。
で、ね
私達日本人の核なるモノって何なんだろうかと考えまして
アメリカ人でも、イラク人でも、インド人でも
やはり、一般生活レベルでも政治レベルでも基督教やイスラム教、仏教というものが
どこか、やはり、関係していて、それが彼らの行動やら信念の核になってるんだと思う。
(ちがうかも知んないけど)
だけど、日本人って、一応仏教や神道って宗教かなんなのか分からないんですけど
それは、日本の中に存在している割には、我々少なくとも自分の生活は
それなしで営むことが出来る。
でも、方や永平寺の坊主は、曹洞宗の道元開祖の教えが生活のコアになっているのである。
これは、まったくどこか、違う国民のように感じる。
外国の場合、その乖離の程度は低いのである。
かといって、どこかの宗教を重んじた生活をしろっていう訳でなく
日本人が、無意識の内に信じるモノを明文化すべきではないか?
明治維新後の廃刀令、断髪令により、に然り
終戦直後のアメリカ兵のチョコレートに食いつき拝倒、に然り
その行動様式は、果たして奇妙であり、危険である。
それを先日、ゼミの担当教授に指摘されたのであるが…ともかく
それまで何十年も保ってきたものを簡単に棄て、それまで憎んできたはずの敵を目指し始め
それは、単に「柔軟」という風に捉えるだけでいいのか。
その様に外国のモノを吸収して、自分らの中で変形させて来た日本の地理的条件を宿命的に考えるのか…
その、振り子のような極端な行動思考は核となるものがないからである。
でも、なくてもいいじゃないか、と何か今思い始めてきました。
結局、そういう風に考える、そのように行動してしまうのが日本人なのでしょう。
こんな事を、全て永平寺の境内で考えていたわけじゃなく、それはちょってだけど
まぁ、そういう風に考えるきっかけを永平寺は呉れました。
それと、帰りの高速で見た斜陽は、最高でした。連れて行ったホテルも最高でした。
あと、1泊2日ずっと降ってた雨も最高でした、笑えるくらい降ってて。
あとあと
今回はテンションを下げずにいけたのですが
「テンション高いね」って言われた時の気分は最悪です。恥ずかしい。
「ひとり」ではない。
#1っしー氏、#73し氏、#31木氏、#23ーこ女史、#Saya女史の計6名。
本当は8人以上を予定していたのでしたが
私自身に人望をいうものが、まったく備わってないのか(希望も。)
集まらなかったり、心ないドタ(バタ)キャン(セル)があったので、結局前述したように6名。
何故『福井』か…。
なぜなら、そこに宿が半額になる券があったからです。そう、それだけ。
宿ありきの旅というのは、しかし、あとになってみると困るものでして…
いざ、なにが福井で出来るのか?
ある一人から、石川は金沢まで行く案件が、総責任者の私まで持ち上がってきましたが
拒否しました、嫌!と。
そこに、死ぬほど観たい!っていうモノがあって、それを伝えようとしてなかったからです。
それを考えると、福井の【永平寺】と【東尋坊】は、特に前者の方は
私としましては、死ぬほど訪れたかった処でして
結果としても、他の5人はどう思ったのか知りませんが、良かったです。
これから永平寺に行くって時に、他のモノがグズリ始め、ホテルに行いきたいと言い出したのです。
「どうしようか?」と、私も一人の人間ですし、情は2,3あるつもりですので
しかも、結構、やさしい人間なので
このまま私のエゴで永平寺に向かうのは、悪いという気持ちもありました。
そして「明日自分一人でも訪れようか」とまで思いつめたのですが
ホテルの場所等福井の地理的情報、ホテル優待券等重要財を私が全て握っていたので
「いい処だから!」と説得し(つつ、「いい処であってくれ!」と願いつつ)
まだ20㌔先だけど「もうすぐそこだから!」と騙しつつ
結局、強行に、永平寺に連れて行きました。
そういう点では、幹事という総責任者に任じられるというのは
いい事だらけなのです、やりたい放題で♪
でもそれに胡坐をかいているだけじゃ、それは愚君に過ぎず
伴者の心をいかに、いぃかぁに、気持ち良くさせるかが、賢君の使命だと思います。
永平寺に着いた頃、雨の降り様は cats and dogs で、日本語で「どしゃ」でした。
そこで、他の5人を雨に打たれさせてまで、見たくもないものを無理やりに見せて
これはいいものなのか?と考え、苦悩の末…
「帰ろうか…」と提案しました。
「ありえない」と言われました。
山奥に潜む社殿までの長い道のりが、彼らを、それでも観る気にさせていたらしく
「観たいのに、帰るなんて!」という意らしいです。私のgoing強引さが功を奏しました。
雨の下の、永平寺でした。
他の寺社をは違うのは、観光客を尻目に、修行をガンガンに行っているところです。
例えば、今年行った修善寺もそうですが、寺の僧が修行している様は殆ど目にしないので
寺が何を守ろうと、保とうと、見つけようと、何を求めようとしているのか
全く分からないのですが
永平寺というのは、建物こそ、勿論の現代技術による改修で、あたりまえに
道元の頃のものではないのせよ
そこから続けて悟ろうとしているもの、求めているものは
それがなんなのかは、私は知りませんけども、変わらないのだろうな、とは思いました。
で、ね
私達日本人の核なるモノって何なんだろうかと考えまして
アメリカ人でも、イラク人でも、インド人でも
やはり、一般生活レベルでも政治レベルでも基督教やイスラム教、仏教というものが
どこか、やはり、関係していて、それが彼らの行動やら信念の核になってるんだと思う。
(ちがうかも知んないけど)
だけど、日本人って、一応仏教や神道って宗教かなんなのか分からないんですけど
それは、日本の中に存在している割には、我々少なくとも自分の生活は
それなしで営むことが出来る。
でも、方や永平寺の坊主は、曹洞宗の道元開祖の教えが生活のコアになっているのである。
これは、まったくどこか、違う国民のように感じる。
外国の場合、その乖離の程度は低いのである。
かといって、どこかの宗教を重んじた生活をしろっていう訳でなく
日本人が、無意識の内に信じるモノを明文化すべきではないか?
明治維新後の廃刀令、断髪令により、に然り
終戦直後のアメリカ兵のチョコレートに食いつき拝倒、に然り
その行動様式は、果たして奇妙であり、危険である。
それを先日、ゼミの担当教授に指摘されたのであるが…ともかく
それまで何十年も保ってきたものを簡単に棄て、それまで憎んできたはずの敵を目指し始め
それは、単に「柔軟」という風に捉えるだけでいいのか。
その様に外国のモノを吸収して、自分らの中で変形させて来た日本の地理的条件を宿命的に考えるのか…
その、振り子のような極端な行動思考は核となるものがないからである。
でも、なくてもいいじゃないか、と何か今思い始めてきました。
結局、そういう風に考える、そのように行動してしまうのが日本人なのでしょう。
こんな事を、全て永平寺の境内で考えていたわけじゃなく、それはちょってだけど
まぁ、そういう風に考えるきっかけを永平寺は呉れました。
それと、帰りの高速で見た斜陽は、最高でした。連れて行ったホテルも最高でした。
あと、1泊2日ずっと降ってた雨も最高でした、笑えるくらい降ってて。
あとあと
今回はテンションを下げずにいけたのですが
「テンション高いね」って言われた時の気分は最悪です。恥ずかしい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます