タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

限られた字数の中で「でしょう (し) 」を多用し文体がだらしなく弛緩した悪文の見本

※1 上掲「巷論」は、2018 年1月 26 日付『釧路新聞』第3面から、
 縦横比をを変更し着色を施して転載。
 
※2 ポインターを当てクリックすると、画像は拡大できる。
 

 2月 16 日投稿の「文体がだらしなく弛緩した悪文の見本」( 記事については こちらをクリック ) の続編。ブーメラン現象があるから、他人の文にいちゃもんを付けるのは止めようと思いつつ、「同じ語の重複」に我慢がならず、またも「悪文シリーズ」に投稿を重ねた。

 上掲「巷論」の文には、「でしょう ( ) 」の多用だけでなく、読点の用い方にも難点がある。

 先の総選挙で一部の政党が取り上げていましたが(、)既に北欧のフィンランドで
 は実証実験を行っていて、
 
 すべての人に一定額の金額を支給するというこの制度は(、)生活保護と違って働
 いて得た収入が合算されず、
 
 保護を受けれるのに申請を行わないという不平等の解消にも役立つとして、社会保
 障制度の限界が囁かれる中で(、)新たなあり方として注目も集めています。
 
 日本国憲法第 25 条の「すべての国民は(、)最低限の文化的(健康で文化的な)
 低限度の生活を送る(営む)権利を有する」という条文通りの解釈では(、)最も
 最適な方法と言えるでしょう。

 ま、ほかにも「一定額の金額」や「最も最適な」のような「馬から落馬」式の表現、あるいは「保護を受けれる」の「ら抜き」、主語文節と述語文節との対応の仕方など、不適切な箇所が少なくない。止めは憲法の条文の誤った引用。勝手に一部を変えるとはいい度胸じゃないか。

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